パティシエの仕事は幅広く、生菓子(プティガトー)だけでなく、焼き菓子、ショコラ、氷菓、ヴィエノワズリー、デセールまで多岐にわたります。働き方も多様化しており、パティスリーやホテルに限らず、講師やコンサル業、自家製菓子の個人販売など、さまざまな形の中から自分に合ったスタイルを選ぶ人が増えています 。 さらに、海外で働くという選択肢もあるでしょう。
今回取材した源波さんは、日本チームが現在2連覇中の「クープ デュ モンド ドゥ ラ パティスリー」のフランス代表予選に、これまで二度も挑戦しているフランス在住のパティシエです。パティシエ人生のさまざまなエピソードが、読者に新しい可能性を広げるきっかけになるでしょう。
パティシエの道を志したきっかけはTV番組

大学卒業後、源波さんはIT関係の会社に就職しますが、ほどなくして転職を考えるようになります。今後の生き方を考えるうちに頭をよぎったのは、大学生の時にみたあるTV番組でした。
「実は特にお菓子が好きだったわけではないんですよ。学生時代、知人とカフェでケーキやタルトを食べたことがあるくらいでした。本格的なパティスリーの知識もない中、たまたまNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』の杉野英実シェフの放送回を見たんです。そこで初めてパティシエという職業を知り、全身全霊を捧げて仕事に打ち込んでいる姿に衝撃を受けました。転職を考えた時は、杉野シェフの事がすぐに頭をよぎりました」
パティシエへの転職にあたって準備したことは?
「本屋で素人向けのお菓子図鑑みたいな本を買って読んでいました。休日に見よう見まねで作ったお菓子を家族にふるまったりしていましたが、知識も経験もないド素人ということもあって、就職先はなかなか決まりません。最初に門を叩いた『HIDEMI SUGINO』はもちろん、4~5軒ほどのパティスリーの面接を受けましたが、ことごとく不採用。業界の厳しさを痛感しながら最後に受けた『新宿京王プラザホテル』のペストリー部門でアルバイトとして採用してもらい、やっとスタートラインに立てました」
ホテルでのアルバイトがスタートだったのですね。
「面接時にアルバイトから社員になれる可能性があることを聞いていましたし、もう自分の中ではパティシエになることしか頭になかったので、現場で働けるだけでありがたいと思って入社しました。今思えば、ペストリーショップの商品づくりはもちろん、レストランや婚礼の皿盛りなど、広範囲にわたってパティシエの仕事の基礎を学べたので、ホテルでスタートを切れたことは、貴重な経験でした」
「配属されたのは生菓子担当のセクションで、任されたのはフルーツの皮むきでした。そこでは主に宴会用のムースやクリームを担当していて、フレッシュフルーツをとにかくたくさん使っていたんです。入社初日に自分のペティナイフすら持っていないことで怒られ、最初の休日にナイフを買いに行ったのを覚えています」
尊敬できる師との出会いと、職場を変えるタイミング
ついにお菓子業界に足を踏み入れた源波さん、これから目まぐるしいスピードで技術を積み上げていくことになります。
ホテル時代の印象に残っていることは?
「当時のセクションチーフの穐山さん(後のペストリーシェフ)がコンクールに挑戦されていたので、飴細工やパスティヤージュに触れる機会が身近にありました。『パティシエとして働いていくなら、普段の仕事はもちろん、自分で目標を持って技術を身に着けていかないといけないぞ』とアドバイスされ、入社1年目から飴細工でジャパンケーキショーへの挑戦を始めたんです。飴細工ばかりにのめり込んでいると、こんどは『パティシエとしての基本的技術や味覚習得もおろそかにするな』と注意され、休みの日にはケーキの食べ歩きに明け暮れました。ホテルでは穐山さんについていくのにとにかく必死でした」
1年目からコンクールに挑戦するのはすごいですね。
「仕事にこだわりを持った穐山シェフの元で厳しい指導を受けていたこともあり、着実に技術も身についてきていたのかもしれません。入社3年目に、ジャパンケーキショーの味と技のピエスモンテ部門で銅賞に入ることができました」

▲ジャパンケーキショーで銅賞を獲得したピエスモンテ
着実に職人としての技術を身につけられたんですね。
「さらに自分が成長できる環境に身を置きたいと考えるようになり、個人店でのケーキ作りにも興味があったので再び、「HIDEMI SUGINO」に入社を希望しました。1度目は素人だったこともあり、ほぼ門前払いに近い形だったんですが、ジャパンケーキショー銅賞という結果があったことが大きかったと思います。杉野シェフには『強い意志があってうちに入社したいのなら、すればいい。厳しいけど続ける覚悟はあるんだな』と念を押されました」
憧れのシェフと仕事をする日々はどうでしたか。
「想像以上にハードワークでしたが、いつも刺激がありました。杉野シェフのフランス修行時代の話をよく聞いていたので、フランスで働くことにも自然と興味が湧き、シェフが辿った道を自分も歩んでみたいと思うようになったんです。フランスという国もそうですが、働く場所の形態にも目を向けるようになりました。例えばレストランとパティスリーではデザートやお菓子など作る種類がかなり違うと思うんです。ただ、パティシエとしてレストランで働いたことが無いからアシェットデセールはできないと言いたくない。『ショコラやグラスに至るまでいろんなジャンルのものを一通りできるようになりたい』と思うようになりました」
転機になった出来事は?
「ルレデセール※1の日本での講習会の助手をさせてもらう機会に恵まれた際、フランク フレッソン氏、アルノー ラエール氏、セバスチャン ブイエ氏の仕事を間近で見ることができました。フランス語は理解できなくても、助手をするうえで自分の仕事のダメ出しをされていることがなんとなく雰囲気でわかったんです。自分に足りないものを明確にして、どんな場所でも通用できる職人になりたいと思い、フランスで働くための準備を進めていくきっかけになりました」
※1 1981年にフランスで発足した、フランス菓子の伝統と技術の継承を目的とした会員制組織。既存会員からの推薦と会員の前でデモンストレーションなどを行い厳しい審査を通過しなければ加盟できない。
フランスで働くことを具体的に意識し始めて、どんな準備をしましたか?
「週に一度、1時間だけフランス語のレッスンに通い始めました。と言っても今思えば、日常的にフランス語を使う環境ではない日本で、まして、パティシエとしてフルタイムで働きながらの勉強では全然上達しなかったんですけど(笑)」
フランスでの職場はどのようにして見つけましたか?
「フランスで働こうと具体的に調べていくと、就労ビザを取得するのが難しいことがわかりました。そこで、ワーキングホリデービザを取得後、講習会で手伝ったフランク フレッソン氏へ働きたいと伝えたら、杉野シェフに『源波というスタッフは自分の店で受け入れるに値する人物か』と問い合わせがあったそうです。その際、杉野シェフが雇って問題ないパティシエだと答えてくれたことで、晴れて1年間『フレッソン』で働けることになりました」
フランスで働くということ

フランスでのパティスリーの仕事の第一印象は?
「目に入る素材、機械、仕事の進め方など、すべてが新鮮でした。フランス語を勉強して渡仏したものの、実際に働いてみると、壊滅的に言葉が理解できなかったことに悔しさが残りましたが、『フレッソン』には当時4人の日本人が働いていたので、周りに助けてもらいながらなんとかついていく日々でした。配属されたショコラとグラスのセクションはこれまで担当したことのない分野だったので、すべて吸収するつもりで働きました」
日本で思い描いていた通りでしたか?
「言葉の壁が思っていた以上にあり、技術があってもやはり言葉でコミュニケーションが十分に取れないと重要なポジションは任せてもらえないと感じました。一度目の渡仏期間が終わるときには、再びフランスでリベンジを果たすことを決めていたので、日本ではフランス人シェフと働けるレストランを探して『ベージュ東京 アランデュカス』に就職しました。再渡仏の資金を貯めつつ、フランス語の勉強に本腰を入れて取り組み、仏検やフランスでの語学力の指標になる『DELF』という試験に挑戦したことで、フランス語もかなり話せるようになり、再渡仏の足掛かりにすることができました」

▲ベージュ東京時代(アランデュカスシェフの隣が源波さん(後列右から三番目)
二度目の渡仏のタイミングはどのように決断されましたか?
「『ベージュ東京』ではフランス人シェフの元での仕事だったので残業も比較的少なく、自分の時間もある程度確保することができました。フランス生活での言葉の苦労が、この時の語学学習へのモチベーションに繋がりました。目標の渡仏資金も貯まったので、『フレッソン』に再度働きたいと申し出たところ、就労ビザを取ってもらえることになったので、再び渡仏を決めました」
再渡仏時の印象は初回の時と変わっていましたか?
「フランス語の理解がかなり進んだことを実感できました。『フレッソン』ではプティガトー部門責任者として働けたことも、スタッフとのコミュニケーションが円滑になったことが要因だと思います。さらにコンクールにも挑戦させてもらい、初めて出場したコンクールで優勝することができました」

▲フランスで3度目に挑戦したコンクールの競技風景
フランスでもコンクールへの挑戦を続けられたんですね。
「はい、何か目標を持って挑戦するのが自分の性に合っているんです。フランスに来て働いている以上、フランスでの自分の実力を確認するというか、自分の位置を客観的に測りたいという思いがコンクールへの挑戦を継続することへ繋がっています」
『クープ デュ モンド ドゥ ラ パティスリー』フランス代表選考に、二度も挑戦されていますよね。
「そうです。師匠である杉野シェフが優勝されたコンクールですし、その背中を追いかけるような想いがありました。さらには、今は亡きフランク フレッソンシェフにも『やれるところまで応援するから挑戦しろ』と背中を押してもらっていたので、これまで強い意志を持って挑んできました。1度目の挑戦はアルザス地方の2つ星レストランに勤務していた時期で、当時十分な練習時間を確保できなかった。そこで今度はコンクールへの挑戦も視野に入れて、製菓学校の講師に転職し、昨年2度目の挑戦に至りました」
コンクールへの挑戦で得られたものは?
「一つは自分の仕事に対する自信です。現代はSNSで簡単に世界のシェフの素晴らしいお菓子や作品を目にすることができます。私は自分のお菓子やピエスモンテに対して自信がなく、これまで、SNSで流れてくる綺麗な作品や技法に影響を受けることもありました。そんな自分を打破したくて、2度目の挑戦の時には自分の考えや味覚を信じて戦うことにしました。プレッシャーは大きかったんですが結果は2位、良い評価もたくさん頂けて、自分の個性を認められたというか『思うがままに自由にやっていいんだ』という感覚を得ることができました。
二つ目は出会いです。現在学校で働けているのは友人の紹介がきっかけですが、その友人はかつてコンクールで競い合ったライバルです。コンクールを通じて長く付き合える友人や同士に出会えたことは大きいですね。
三つ目は、多くの機会を頂けるようになったことです。コンクールに出て評価されることで、作品の奥にある普段の自身の仕事や日々の努力も感じてもらえたのでしょう。結果が後押ししてくれて新たな仕事に繋がりました」

▲2025年のクープ デュ モンド フランス代表選考で2位になった作品
働く場所や形が変わっても、変わらないもの
これまでの職場で出会った師の教えを守り、パティシエの仕事に真摯に向き合いつつ挑戦を続けてきた源波さん。最後に現在のお仕事と今後の目標についても伺いました。
製菓学校での講師としての日々について聞かせてください。
「教壇に立って1年半、授業準備や生徒たちへの指導法などの感覚も掴めてきました。初めはノエルやパックなどのパティシエにとってのイベントシーズンにお菓子を作らないことは寂しかったですが、新学期など、講師として異なる忙しさも楽しめるようになってきています。本場フランスで次世代のパティシエを育成する役目を外国人の自分が担うことが新たな挑戦でもあります。技術を見せるだけではなく、知識を言葉で、しかもフランス語で伝えて理解してもらうことは、簡単ではありません。ただ、これまで自分は製法などについて可能な限り論理的に解釈するように努めてきましたので、これまでの現場経験を存分に発揮できる場になっています」
これからについてお聞かせください。
「現在42歳なんですが、もう少しの間は若い子たちと競い合いたいなと考えているので、まだまだコンクールへのチャレンジは続けていくつもりです。そして数年後にはフランスで何かビジネスが始められるように、資格取得も視野に入れています。パティスリーなのか、コンサルティング業なのか、デモンストレーターなのか、明確に定まってはいませんが自分の実力と感性を磨き続けて実現させたいです。」
源波さんのこれからに、とても興味が湧きました。
「未来は今の延長です。今の職場でだけではなく、自分はこれまでどこで働いていても真剣に仕事と向き合ってきました。その中で生まれた信用があったからこそ周囲の協力が得られて、新たな出会いにも恵まれたと思っています。変わらず持ち続けている信念のひとつに、『職場を退社する際、惜しまれるような存在になる』というものがあります。これからも変わらずこの信念を貫き未来を切り開いていきたいです」
若いパティシエの方へアドバイスをお願いします。
「感覚や経験だけではなく、お菓子作りには理論も必要です。理論が正しければ、後輩指導や試作の時の材料や技法の選択でも迷うことがありません。しっかり理論にも興味を持って、集中してお菓子の勉強をしてください。あと、最近ではパティスリー以外のモノにもアンテナを張らないといけないとも強く感じています。私自身は美的センスを磨くための美術鑑賞はもちろん、3Dデザインの勉強などにも目を向けていますよ。
そして最後に、海外での修業を視野に入れている人は、今すぐ語学の勉強を始めてください。外国で自分の目の前で起きている事を理解するためには、言葉の習得が不可欠です。コツコツと始めることで、僕みたいな回り道をせずに済みますよ!」

取材を終えて
フランスからオンライン取材に応じてくれた源波さん。画面越しでも、周囲を巻き込みながら前に進む力強さが伝わってきました。「もっと話を聞きたい!」そう感じたのは筆者だけではないはず。そんな皆さんに朗報です!このたび、源波さんがフランスからパティシエ通信を届けてくれることになりました。仕事の裏側はもちろん、現地のリアルな暮らしや最新情報もお届け予定。どうぞご期待ください!
chefno編集部
ベーカリーパートナー編集部