ARTICLE
2026.06.30

33歳からの独学パン作り。酵母と向き合い、5年越しで完成させた究極の食パン「凪-nagu-」福井直也シェフ インタビュー前編

ベーカリー凪

歴史あるパン文化を育んできた街・神戸。そんな街に、またひとつ新しいお店が誕生しようとしています。 2026年6月の開業を前に、神戸市西区の閑静な住宅街から小麦の香ばしい匂いを漂わせはじめているのがベーカリー「凪-nagu-(なぐ)」です。オーナーシェフの福井直也さんは、若い頃からストリートダンスの世界で活躍したという、パン界では少し異色のバックボーンの持ち主。大学卒業後は会社員として働きながら、 33歳にして完全独学でパン作りをはじめられました。深夜まで自宅の家庭用オーブンと向き合い続けること6年。その探求心は、あるテレビ番組への出演をきっかけに、審査員を務めていた福岡の名店「パンストック」の平山哲生シェフとの出会いを生み、さらに奥深いパン作りへと繋がっていくことになります。

「あの時、一歩踏み出して本当によかった」。穏やかな笑顔の奥に、職人としての情熱を覗かせる福井さんに、パンへの想いを伺いました。

ダンスもパンも、夜を徹して技を磨いた日々

ベーカリー凪

▲「凪-nagu-」オーナーシェフの福井直也さん

15歳からダンス一筋で、日本代表として海外の舞台も経験した福井さん。大学卒業時は将来の選択に深く葛藤したものの、慎重な性格もあり、会社員の道を選びます。平日は定時まで働き、退社後は深夜までダンスの練習に打ち込むハードな日々。そんな「二足の草鞋」の生活が、福井さんの原点となります。

33歳、知識ゼロからの出発。パン作りへの挑戦に火をつけたのは行列の景色

ダンスからパンという、まったく異なる表現の世界へと心が向いていったのはなぜですか?

福井さん
「転機になったのは、大学時代から知るダンス界の先輩が新しくベーカリーをスタートされたことでした。先輩のお店を訪ねた時、言葉にできないほどの衝撃を受けたんです。 実は、それまでパンを自分で焼いたことなんて一度もありませんでした。食べるのは大好きでしたけれど、興味の対象としては完全に“消費者”だったんです。でも、先輩が焼いたハード系のパンを食べた時、『なんておいしいんだろう』と。小麦本来の風味や旨みを改めて実感した瞬間でした。その小さなお店の前には長い行列ができていて、お客様が楽しそうにパンを選んでいる。その光景を見て『自分が作ったもので、誰かの日常をこんなにも幸福に、夢中にさせてみたい。自分もパンを焼いてみたい』と心に火がつきました」

 

ベーカリー凪

どこかのベーカリーの門を叩くのではなく、ご自宅のキッチンで独学をはじめられたのですね。

福井さん
「はい。文字通り知識ゼロからのスタートです。酵母がどうやって生きているのかも分かっていなくて、先輩にアドバイスをもらいながら、手探りでさまざまな種類のレーズンを使って種を起こすことからはじめました。ある日、瓶の中でレーズンが元気にぷくぷくと泡立っているのを見て、『これが発酵というものか』と感動したのを覚えています。『酵母ができた!これでパンが焼ける』とうれしくなり、すぐに家庭用の小さなオーブンを買いに行きました。 初めて焼いたのは、カンパーニュとベーグル。オーブンの中で不格好ながらもちゃんと膨らんでくれた時は本当にうれしかったですね。ただ、クラム(内層)はまったく納得のいくものではなくて…(苦笑)」

独学ということですが、どういったものを参考に勉強されたんですか?

福井さん
「基本的にはYouTubeですね。いろんな動画を見ながらやっていました。あとは『パンストック』の平山シェフの書かれた本です。ほかのレシピ本だと、作り方は書いていてもなぜぞういう作り方をするのか、根っこのところが書かれていないので、本当の意味で理解できないというか。平山シェフの本にはシェフの考え方が丁寧に分かりやすく書かれていて、大事にするべき基礎の部分がたくさん書かれていると思います。私のパン作りの考え方みたいなのは平山シェフの本を読んで学んだことがベースになっていると思います。いまでもずっと読み返していますね」

 

▲平山シェフの書籍「パンストック 長時間発酵のパンづくり」

 

「酵母を鍛える」

ベーカリー凪

 

YouTubeや書籍をバイブルにしながら、独自の試行錯誤を重ねていかれたのですね。酵母をゼロから育てるのは、やはり難しいものですか?

福井さん
「難しいというか…。相手は“生き物”ですからね。教科書通りにはいかないおもしろさがあります。私はいつも、いくつかの瓶に分けて同時に酵母を仕込んでみて、その中で一番うまく育ったものを選ぶようにしているんです。やっていくうちに分かったのは、フレッシュなほうが、酵母が力強く起こってくれるということ。例えばレーズンを使って種を起こす時、袋を開けたてのものを使うのと、開封から少し時間が経ったものを使うのとでは、その後の発酵力がぜんぜん違います。

一般的なパン作りでは、酵母液が少なくなってきたら継ぎ足す、というやり方が多いと思います。でも私の場合は、まず複数の瓶で起こした酵母の中から、一番元気な酵母をスプーンでひとさじすくい取り、それを新しいレーズンの瓶に入れる。そして発酵したらまたすぐにひとさじすくい取り、新しいレーズンといっしょに発酵させるという作業を何度も繰り返します。これを私は『酵母を鍛える』と呼んでいます。そうすることで発酵力が強くなり、結果、イーストの助けを借りなくても、酵母の力だけでボリュームのある食パンが立ち上がるようになるんです」

独学の日々は、孤独ではなかったですか。

福井さん
「ダンスは1人で練習することが多く、技が形になるまで黙々と自分の動きをチェックしながら、ひたすら踊り続ける世界なんです。技ができない原因は自分の中にあるし、それを突破するのも自分しかいない。 そういう意味では、パン作りはダンスとよく似ていました。パンも酵母や生地の状態を見て、どこが良くなかったのかを自分で考えて工夫を重ねていきます。もちろんパン屋さんで働かないと得られない知識も多いと思いますが、 その時私は33歳を過ぎたくらいの年齢で、 素人の私がここからパン屋で一から学ぶというのは、独立までのハードルが高すぎると思ったんです。それに、1人で黙々と挑戦し、正解を見つけていくという作業は、自分に向いているのかもしれません。そして何より、それが楽しかったんです」

ベーカリー凪

会社員とパン作りの二足の草鞋。6年間に及んだ実験の日々

そこから、イベント出店という形で初めてご自身のパンを世に出すまでには、どれくらいの時間がかかったのでしょう。

福井さん
「 約6年です。平日は会社員として働き、休日はすべてをパン作りに捧げました。焼き上がったパンを友人たちに食べてもらい、改善を繰り返す日々。みんなが『おいしい!』と喜んでくれるうちに、『近い将来、自分の店を持ってパンを販売する』という明確な目標ができました。 とはいえ、30代半ばを過ぎて、生活もありましたし、すぐに会社を辞めるのは現実的ではありません。実績のない人間に融資をしてくれるほど世間は甘くありませんから、まずは地道に販売実績を重ねて、自分のパンが本当にお客様に届くのかを証明しなければならないと考えました。それがイベント出店からスタートした理由です。

最初はInstagramで見つけた、素材や手作りにこだわるロハスをテーマにした神戸の野外イベントに思い切って応募しました。地元のイベントなら、のちのち自身が店を構えたときの集客にもつながると考え、出店を決めました」

 

ベーカリー凪

▲須磨海浜公園でのイベント出店時の様子

イベント出店にあたって、特に大変だったのはどんなところでしたか?

福井さん
「やはり作業場の確保ですね。普段の試作や実験なら自宅のキッチンでできますが、イベントでの販売となると、許認可のある場所で作らないといけないことに併せて、大量のパンを一度に焼く必要があります。当然、プロ仕様のレンタルキッチンを借りることになるのですが、これが一筋縄ではいかなくて。オーブンのスペックや台数はもちろんですが、パン作りは夜中の仕込みになります。夜通し作業をさせてくれる場所を探して交渉するのが、本当に大変でした。

それから、いざ出店するとなっても、イベントによって毛色や客層がまったく違うという壁にもぶつかりました。人がたくさん集まる大規模なイベントだからといって、自分のパンが売れるわけではないんです。出店を重ねるうちに、どのイベントがどんな商品(ハード系や食パン)とマッチするのかを見極める大切さを学びました」

イベント出店の思い出はありますか?

福井さん
「初めての出店のとき、ハード系を中心に6年間で何百回と試作して磨き上げてきたオリジナルレシピのパンを、300個ちかく用意しました。レンタルキッチンを借り、夜通し1人ですべてを仕込んで焼き上げる作業は、想像以上に過酷で…。環境が違うだけで発酵の進み方が狂ってしまったり、夜中に機器のトラブルに見舞われたり(笑)、さまざまなハプニングがありました。『パン好きが集まるイベント』と聞いていたので期待して持っていったのですが、無名な私のパンは売り残ってしまい、意気消沈しました。それからは、イベントの特性に合わせて生産数を調整するといった工夫も徐々に覚えていきました。

当時、力を入れていた食パンは、オーブンの都合で一度に8本しか焼くことができず、あっという間に完売してしまってお客様にご迷惑をかけたこともありました。それでも、朝一番に私のパンを買ってくださったお客様が、同じ日のうちに『おいしかったから』ともう一度買いに来てくださったときは、すべての疲れが吹き飛びましたね。 『実店舗はどこにあるんですか?』と尋ねてもらえたこともうれしかったです。店がまだないと知ると、皆さん驚かれて。『お店ができたら絶対に行きますね!』といった会話を楽しみながら、お客様の声をダイレクトに聞くことができたのは本当に勉強になりました。イベントでいただいた温かい言葉の数々が、私の背中を押し続けてくれた気がします」

地道な試作とイベント出店を重ね、一歩ずつ理想のパンへと近づいていく福井さん。後編では、ある有名シェフとの出会いが、福井シェフの人生に大きく関わることになります。

(後編へ続く)

【取材協力】

ベーカリー凪

「凪 -nagu-」
※2026年7月~頃オープン予定
住所:兵庫県神戸市西区伊川谷町有瀬543-1 クレセント有瀬1階
営業時間:11:00〜17:00(売切次第終了)
定休日:月・火・水

インスタグラム:https://www.instagram.com/bakery_nagu/

この記事をシェアする
Writer
パン・スイーツライター
いなだみほ
パン・スイーツライター
いなだみほ
運営サイトはこちら
赤穂生まれ、神戸暮らしのライター。
スイーツ、パン、ライフスタイルを中心に雑誌、WEBで執筆するほかイベント企画なども行なっています。
塩の国生まれゆえ、甘じょっぱいお菓子が好き。
パンシェルジュ2級、チョコレートスペシャリスト取得。
1
ARTICLE
2024.01.09
インタビュー 老舗和菓子屋からパン屋へ パティシエ出身シェフが作る美しいパン ル・シュプレーム 渡辺 和宏
ベーカリーパートナー編集部
2
ARTICLE
2025.02.11
男女別・年代別・エリア別 好きなパンランキング 
ベーカリーパートナー編集部
3
味覚と味蕾
ARTICLE
2023.06.13
教えて!専門家の皆さん!!美味しいものを作るために知っておくべき「味覚」について
chefno編集部
パティシエール兼ひよっこライター ハルミ
4
トレマタンブーランジェリー オーナー 瀧あゆみさん
ARTICLE
2023.05.18
美術のセンスを生かしてローコストでパン屋を開業 ~愛知県 名古屋市 トレマタンブーランジェリー 瀧あゆみ~
chefno編集部
プロモーション担当兼エディター リョウ
無料会員を募集しています!
chefno®︎では、会員登録することによって、会員限定のコンテンツを視聴したり、 製パン・製菓のセミナー(無料・有料開催)に参加することができます。 ほかにもいろんな特典を考えております。みなさまの登録をおまちしています!