製菓業界で長く働き続けること。
そこには、技術を磨く楽しさや、お客様に喜んでもらえるやりがいがある一方で、体力面、労働時間、結婚や出産といったライフステージの変化など、将来を考える上で避けて通れない現実があります。だからこそ、今この業界で自分の道を切り開こうとしているパティシエールの姿が、これから同じ道を目指す人や現場で一歩踏み出すことに躊躇している人にとって、大きな励みになるのではないでしょうか。
今回話を伺ったのは、東京・代々木上原のパティスリー「アステリスク」で働く岡田茉子さん。新卒で入社してから6年目を迎え、現在はシェフ・ド・パルティとして、近い将来のスーシェフ就任も視野に入れながら日々厨房に立っています。彼女は専門学校時代に「アステリスク」に強く惹かれ、「ここで働きたい」という思いを言葉にし、チャンスをつかんできました。
大事にしたのは自分の直感
京都府出身の岡田さんは、神戸国際調理製菓専門学校で2年間学んだ後に上京しました。就職先を探す時、地元を離れるかどうかで頭を悩ませる人が多いなか、岡田さんは少し違っていました。
岡田さん「東京も関西も、自分が気になるお店を一通り訪問した上で、本当に働きたいと思える場所を探しました。まわりの友人は『関西からは出たくない』という子も多かったんですが、初めから選択肢をせばめるのではなく、自分がパティシエールとして働くお店はきちんと納得して決めたかったんです」
ご自身が最終的に選ばれたのが、製菓業界のみならず、洋菓子ファンの間でも広く知られている『アステリスク』だったんですね。どういうところに魅力を感じたんですか。
岡田さん
「就職活動でいくつものお店を回るなか、一つのお店で食べられるお菓子には限りがあります。だからこそそれぞれのお店のお菓子の印象だけじゃなくて、店に入った時の雰囲気、スタッフのみなさんの働く姿や接客の印象、厨房の見え方、などいつも様々な角度からお店をみるようにしていました。たくさんのお店を訪問した中で、『自分は一体どこで働きたいのか』と自問自答した際、最も強く印象に残っていて頭に浮かんだのが『アステリスク』でした」
ただ、その道は最初から開かれていたわけではありませんでした。岡田さんが新卒募集について問い合わせた時には、すでにその年の募集定員に達していたため、採用は難しいと言われたそうです。
岡田さん
「電話越しからも私が落胆している様子が伝わったのか、『興味があればお店を見に来てもいいですよ』と言ってもらえました。自分が感じた直感を信じて行動しないと後悔することはわかっていたので、実際にお店を訪ねた後、面接の機会を得ることができたんです。私はもともと、人に自分の思いを伝えることが得意な方ではありません。それでも面接では、緊張して泣きそうになりながら、『アステリスクで働きたい』という思いを必死に伝えました」

その言葉にならないほどの熱量が、採用というチャンスにつながったんでしょうね。入社して6年、その時の直感は当たっていましたか。
岡田さん
「これまで『アステリスク』に入社して後悔したことは一度もありません。むしろ、『ここにしてよかった』と心の底から思うことの方が多いです。たくさんある中の一つは、仕事そのものが楽しいということ。お菓子作りはもちろん、今はチームで仕事をやり遂げる達成感を味わっています。そしてもう一つは、和泉シェフのもとで、今もなお学ぶことが尽きない環境に身を置けていることです。日々の仕事の中に、自分がまだ知らないことがあって、今よりもっと良くできる可能性があります。そしてすぐ側に、技術や考え方を学びたいと思える人がいるのはすごく恵まれていることだと思うんです」

▲厨房で共にお菓子を作る、岡田さん(右)と和泉シェフ
岡田さんの言葉には、無理をして自分を奮い立たせているような力みはなく、それこそが、彼女が6年間歩みを止めずにいられた大きな理由なのかもしれません。
コンクールで気づいた「一人ではできない」ということ
岡田さんにとって、パティシエールとしての大きな節目となったのがコンクールへの挑戦でした。もともと飴細工に取り組み、内海会のジュニアコンクールに出品したことがきっかけで、今年1月にフランス・パリで行われた「Trophée International de la Pâtisserie Française 2026(国際フランス菓子コンクール)」(※以後TIPF2026と表記)挑戦への声がかかりました。
岡田さん
「和泉シェフから(TIPF2026に)『挑戦するか』と問われた時、迷わず『やります』と答えました。とはいえ、これまで挑戦してきたコンクールはすべて作品を事前に作り、審査会場へ持ち込むものだったのに対して、このTIPF2026はすべて当日に課題のお菓子を作り上げていく実技コンクールです。不安もありましたが、手が届くところに差し出されたチャンスに対して素直に“やってみたい”という気持ちが湧き、それをきちんと言葉にすることができました」
TIPF2026は、岡田さんが選手、和泉シェフがコーチという立場でペアを組む実技コンクールだったんですね。
岡田さん
「はい。このコンクールは、世界中で様々な製菓技術が発展する中、本物のフランス菓子を世界に普及させ、その高いクオリティを守り、次の世代に伝えることを目的としています。そんな職人技術の伝承をテーマにしているため、オーナーシェフなど技術を教える立場のベテラン職人と、その下で実際に働くスタッフが2人1組で出場するユニークなコンクールです。また、大きな飴細工やチョコレート工芸で芸術性を競うというよりは、実際にパティスリーで販売できるお菓子としての完成度や再現性が審査されることも大きな特徴です。さらには、クラシックなフランス菓子を現代的にアップデートさせることも求められました。2日間ある競技の中では、生地やクリームの状態はもちろん、作業場の美しさなど、職人としての基本動作も厳しくチェックされるコンクールでした」
コンクールに出品して評価を得たお菓子が購入できるのというのは、消費者としてとても嬉しいです。
岡田さん
「お店としても、そういってもらえると嬉しいです。コンクールに出したお菓子のレシピや方向性についてはシェフと話し合い、二人で試作を重ねて課題のお菓子をブラッシュアップさせていきました。仕事中にシェフと話すことは普段からありますが、そこはあくまでもオーナーシェフと従業員としての会話です。コンクールに一緒に出場することになり、準備期間から本番まで、いつもとは違う形でお菓子についてたくさん話したことで、ひとつひとつのパーツの合わせ方や焼き加減の細部に至るまで、神経を行き届かせなくてはという思いが強くなりました。言葉にするとシンプルなのですが、『より美味しく、より状態をよくするためにできることは何か』ということに集中するようになったんです」

▲お店で販売されているコンクール作品 「ビスキュイ ド サヴォワ(左)」と「ミルフォイユ ピスターシュ エ アブリコ(右)」

▲息の合った見事な連携と気品が称賛を集めて第2位となったコンクール作品
フランスでの実技コンクールを経験してご自身の中で変化したことはありますか。
岡田さん
「一番大きかったのは、お菓子を見る目が変わったことです。
入社してからこれまでも、お店のお菓子作りには真摯に向き合ってきた自負があります。でも、TIPF2026では、一つのお菓子をよりよくするために何度も何度も試作を重ねました。
そんな経験を経たからこそ、焼成した生地を見る時も、以前より『もっとおいしい焼き具合』を意識するようになりましたし、今までなら許容していた仕上がりでも、自分の中の基準が少しずつ狭まった感覚があります」

▲焼き菓子を焼成する岡田さん
岡田さん
「また、シェフの過去のコンクール作品のお菓子を仕込む時にも、『このパーツには、どんな意図があるのだろう』『シェフはどんな生地を目指しているのだろう』と以前より踏み込んで考えるようになりました。なぜなら普段お店に並んでいる商品も、完成までにシェフが同じように多くの時間をかけて試行錯誤を繰り返し、積み重ねで出来上がっているのだと気づけたからです」
岡田さんにとってコンクールは、結果を競う場であると同時に、お菓子と向き合う視点そのものを変える経験でもあったようです。そして技術面以上に大きな気づきがあったと言います。
岡田さん
「TIPF2026に向けてお菓子作りに向き合う凝縮した日々のなかで、『一人では何もできないんだ』ということにも気づけました。以前の私はどこか仕事において『自分が頑張ればいい』と思っていたところがあったんです。もちろん今でも、自分が努力することに変わりはありません。ただ、コンクール期間中に、自分が無心で頑張れる環境そのものが、誰かに支えられていること、困った時に助けてくれる仲間がいることこそがいざという時の強さにも繋がるということを実感しました」

▲TIPF2026の会場で、日本から応援に駆け付けたアステリスクメンバーと

▲店内にあるエッフェル塔の横に、表彰状が飾られている
お菓子作りへ向き合う姿勢と今後の目標
パティスリーでのパティシエの仕事は、日々お店のお菓子を作ること。お店にはさまざまなレシピがあり、それぞれ作り方が決まっています。その中で働くパティシエ達は個々に自身の目標を持ち、技術の研鑽に励んでいます。ひとつひとつのお菓子と向き合うこと、更には周囲への感謝の気持ちを強くした岡田さんはこれから何を目指していくのでしょうか。
お店での業務においても変化はありましたか。
岡田さん
「私は現在、焼き菓子部門の責任者を任されています。自分だけではなくチーム全員が自分の目の前の仕事にまっすぐに向き合い、より良いお菓子作りを目指せるような仕事を意識するようになりました。さらには目の前の作業だけでなく、『これをしたらお店がどうなるか』という視点で考えることで、少しずつ、自分の発言が変わってきました。実は、和泉シェフから将来的には私がスーシェフになることを視野に入れていると言われています。準備期間のいま、思ったことをため込んでしまう性格を少しずつ改めて、シェフの不在時にお店全体を見られる立場になるのが目標です。そのためにも、自分の考えをなるべく相手にわかりやすい言葉にして伝えて、相手からも気持ちを引き出せるよう、心がけています」

▲焼き菓子の生地の仕込みをサポートする岡田さん(左)
「アステリスク」というチームの中でどんな存在を目指していますか。
岡田さん
「日常業務の中で自分の仕事を後輩に教えること、そしてその仕事を見守り、徐々に任せることで、自分自身も新たな役割を担えることがわかりました。『やってみたい、頑張りたい』と思った人を支えてフォローできる、頼れる存在になりたいです。チームで1つの事をやり遂げた後の達成感は、何物にも代えがたいですので。以前の『自分が頑張ればいい』と思っていた私が今では、『チームで一緒に乗り超える』喜びを味わっています」

▲柔らかな笑顔で終始インタビューに答えてくれた岡田さん
取材を終えて
岡田さんの話を伺い印象的だったのは、決して最初から強い自信を持っていたわけでも明確な将来像を描いていたわけでもなかったということです。
その時々で自分の心が動いた方向を見極め、『やってみたい』と思いを言葉にして目の前の仕事に向き合い、時には周囲の力を借りながら進んで来たからこそ、見える景色が変わって来たのかもしれません。
あなたも『やってみたい』と思うことがあるなら、その気持ちを是非、言葉にしてみませんか。その一歩が、思いがけない未来への入り口へと繋がりますように。
【取材協力】

ASTERISQUE(アステリスク)
住所:東京都渋谷区上原1-26-16 タマテクノビル1F
営業時間:10:00~18:00
ホームページ:https://www.instagram.com/asterisque_izumi/
インスタグラム:https://www.instagram.com/asterisque_izumi/
ベーカリーパートナー編集部