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公園のような明るいお店。人々が集う街のパン屋さん
1976年に創業し地元から愛され続けるパン屋、ヴァンダラスト。群馬県太田市にあるヴァンダラストは地方からもパンをめがけてファンがやってくる。お店の周りは色とりどりの花がたくさん植えてあり、大きな窓からは店内にまで太陽光が降り注ぐ。公園の様に広々とゆっくりとした時間が流れる空間だ。店内にはレジ前に用意されたお立ち台に5種類の食パンが並び、お会計をするお客様を出迎える。使用している小麦粉や製法の違う食パンに何を購入しようか悩まされてしまう。こだわりを持って作った種類別の食パンもお客様はなんとなく白くて四角い無難な食パンを選びがち。そこで食パンをあえて目立たせることで、どんな商品なのか商品説明をお客様が読み込んでしっかり選んでくれるようになったという。店内のところどころにオーナーの大村田さんの隠し技が光る。
生まれた時から当たり前にあったパンの世界
ヴァンダラストはもともと大村さんの父、大村隆秀さんが夫婦二人でマイピアという名前で創業した。大村さんが生まれる前から創業していたため、物心ついた時にはマイピアの厨房は大村さんにとって絶好の遊び場だった。子供には魅力的なパン屋の厨房。マイピアで働く職人さんたちには遊んでもらうこともあり、家族同然の付き合いをしていた。大村さんは「いずれは自分もパン屋になるのかな」とぼんやりと考えてはいたものの真剣にパン職人を目指してはいなかった。ましてや、パンの生地を触ったこともほとんどなかった。そして訪れる高校3年生の夏。誰しも、今後の進路を真剣に考えざるを得ない時期がやってくる。そこで初めて自身の将来を考えた時、デスクワークをしている自分の姿が想像できなかった。当時は消去法でパン屋になろうと思い、三者面談を前に専門学校に行く意思があることを父に伝えたという。ところが、父からは予想に反して「大学に行って遊んで来い」と言われ、当時遊びに出かけていた、原宿・渋谷にできるだけ近い大学を選び見事入学した。
自身のルーツは大学時代に カルチャーを学び人とつながる
文字通り遊び倒すつもりで、大学に入学した大村さん。パン屋になることは決めていたので、パン屋以外の事をしようと、たくさんのバイトを掛け持ちし、やってみたい事に挑戦する毎日。言葉も分からないまま単身で海外に行くこともあった。大学時代に出会った人たちや、海外への旅行や様々な経験。当時の好きなものが今のヴァンダラストにも詰まっている。父が言った「大学に行って遊んで来い」は、人脈を作って来いということだったと大村さんは言う。自身のやりたいことをしっかり全力でやり切った結果、父が望む人脈を作る濃厚な時間になった。
日本一厳しいパン屋での修行 0から1を生み出す経験
大学を卒業後、「日本で一番厳しいお店で修業させてやる」という父の伝手で関東の有名店で修業することになった。大村さんは初めてそこでパン作りを学ぶことになる。修業先の店舗は勢いがあって、新店がどんどんとできるような店だった。3年目には店長になっていた大村さんは、一から新店オープンの立ち上げ業務に携わった。オーナーの顔が広いこともあって、知り合いのお店が新店を開くときも手伝いに行った。それが大きな経験値になったと語る。同じ修行先には独立してお店を持ちたいと思う若い職人が多く、よきライバルたちと過ごす時間は貴重だった。そんな忙しい毎日を6年間過ごし、大村さんは地元大田市に帰ることになる。
父と信念のぶつかり合い ヴァンダラストになるまで
28歳になって1日100万円売り上げるような繁盛店から帰ってくると、自身の生まれ育った父母が営むパン屋に物足りなさを感じた。今までのやり方を根本的に変えたいという想いと父の今までのやり方を貫きたいという想いがぶつかった。3年ほどはお互いの言い分は平行線のまま過ぎていった。父のもとで働いていた職人もその頃にはいなくなっていた。当時を振り返ると意固地になってたと語る大村さん。新メニューを一人で考え、一人で製造し、一時はひとつのお店の中に父の作るパンと大村さんの作るパンがおいてある時期もあったという。
そんな中、修行先のオーナーが、パンの世界大会の出場を勧めてくれた。世界大会に参加するためには、練習時間も必要でお店に立つ時間も必然的に減ってしまう。そうなると自分の右腕になってくれるような人材を育てなければお店も回らない。毎日休みなく大会の準備に追われる日々だったがそれがいい気分転換になった。見事、日本代表の座を手に入れ4位という実績を残し、人材育成をしながら、お店も一日も休むことなく営業することができた。大会を出た翌年、マイピアの代表は大村さんに代わった。父からは「自分の責任で好きなことをしなさい」と背中を押してもらった。
当時は商品の値段も安く食パン1斤230円。1日で600人のお客様が来ることもあった。しかし、製造の時間ばかり増えてしまい、長時間労働を強いる結果になってしまう。大村さんは、お店のブランディングを当時より少し高級にすることを目指した。さらに縁側で井戸端会議をするような気持ちで地域の人が集うような場所にしたいと大村さん自身がパン教室を開き、地域の方と直接関わる。そうすることで、お客様も深いファンになっていく。今では年に数回ヴァンダラスト主宰のイベントを催し、落語や茶道教室を開いたりと地元の方から、なくてはならない憩いの場としてパン屋以上の価値を見出している。
①ヴァイツェンミッシュブロート 760円(税込)
クルミレーズンが入ったパン。大田市ではまだドイツパンのなじみがなく、クルミレーズンと表記している。高齢の方から人気。
②パネトーネ 4,200円(税込)
市販のイーストを使用していないので、発酵に4日かかる、時間をかけ丁寧に作られたパネトーネ。1か月日持ちするので、ギフト需要にも。サルタナレーズンとオレンジがたっぷり入った贅沢なパン。
③傳(1斤)400円 (税込)
北海道産のきたのかおりとゆめちからを使用した食パン。湯だねを使って作っているので、生地はもっちり、耳はさっくりと軽い食感。砂糖を控えめにしているので、毎日食べても飽きない食パン。
④クロワッサン 360円(税込)
パリで食べるクロワッサンを思わせるほどの65gと大ぶりのクロワッサン。北海道産の発酵バターを使用している。
【大村さんに聞いた】贅沢じゃなく上質なお店へ
これからの個人店、リテイルベーカリーは原材料もどんどん高騰していき、単価を少しずつ高くしていかないと正直採算が合わなくなっていくと思います。僕自身、マイピアからヴァンダラストに名前を変えた際、パンの単価もぐっと上げました。最初は口コミサイトやお客様からも叩かれることがありました。お店のブランディングが「普通」のお店だと売価も「普通」に設定しないとお客様も納得できないと思います。どうしたら、納得してこの価格のパンを購入してもらえるんだろうと考えました。商品もクロワッサンなどは、通常のお店よりもかなり大きくして、納得感のあるものを作っています。
ちょうどそんな折、代替わりに伴いお店の建て替えを検討することになり、パン屋さんだけでなく、和菓子屋さんにもよく足を運びました。なぜなら、和菓子は小さくても単価がそこそこするものが多い。でもお客様は納得して購入していますよね。特にお店側から説明することもなく、お客様が勝手にお店の空気感や歴史、信頼感を感じ取っているように思います。原価はおそらく一緒なのに、みんなが納得して購入している点では、とても理想的だと感じました。その一部には、日本人のDNAというか、日本の古き良い風景を感じさせる暖簾なども影響していると感じます。このお店を作る時のコンセプトは贅沢とまではいかないけれど、上質を意識しました。ホテルなどでも経験があると思うのですが、あまりに高級すぎると手が届かず、慣れないので居心地が悪いことがあります。手を伸ばせばマネできる、お店の内装や植栽もそんなところを意識して作りました。
応援される人間になる
僕自身、採用に関して結局思うことは、「働く本人の性格が一番大切」ということです。これはどうしても面接だけでは分からないところではあります。職人が少ないと叫ばれている昨今、未経験のスタッフを雇うことは当店でもよくあります。でも、経験・未経験関係なく、どんなスタッフも伸びる子たちには共通点があります。素直で、勉強好きでポジティブ。この3つを持っているスタッフは、どんどん自分から仕事を覚えていきますし、僕たちはどうしても応援したくなります。ゴマすったり、顔色をうかがうのではなく、仕事に対して真摯に取り組んでいたり、前向きに学ぼうという姿勢ができているのか。そういう姿を見るとどうしても応援したいな、と思いますし、そんな人になってほしいなと感じます。
当店では、パン教室も開催しています。パン業界では、講習会があるのですが、講習会をするとなるとハードルが高い。けれど、パン教室の講師ならば、そこまでハードルは高くないですよね。子供向けのパン教室の講師から始めてもらい、慣れたら大人向けの教室の講師に。スタッフの将来のことを考えて、今後講習会でも堂々と話せるように少しずつステップアップしてもらっています。一人ひとりの成長が楽しみですね。
SHOP DATA
WANDERLUST
●所在地:〒373-0033 群馬県太田市西本町5-30
開業年:1976年
定休日:火曜日
日商:30万円
客単価:2,000円
オーブン台数:2台
ミキサー台数:2台
パンの種類:約60種類(生地10種類)