イタリア、ミラノを発祥とする発酵菓子、パネットーネ(パネトーネ)。
「リエヴィト・マードレ」と呼ばれる、パネットーネ製造に特化した自家培養酵母の働きによってひと月も日持ちがすることから、シュトーレンに次ぐクリスマス時期のアイテムとして、特にパン職人たちの間で注目を集めている。
このパネットーネを通年販売し、同業者たちからも「本当に美味しい」と高い評価を得ているのが東京・恵比寿にある「LESS(レス)」だ。イタリア・ミラノ出身のガブリエレ・リヴァ氏と日本人の坂倉加奈子氏による共同経営の同店。「Less is More(レス・イズ・モア)=少ないことは豊かなこと」というドイツの建築家 ミース・ファン・デル・ローエの言葉に由来する店名には、二人の、物事の本質を見つめ、素材に敬意を払い、より良きものを追求する姿勢が表れている。そんな「レス」の核ともいえるパネットーネについて、両シェフにお話を伺った。
目次
本物のパネットーネを日本に伝える
「レス」がオープンしたのは2019年。日本では、まだまだパネットーネは知られていなかった。本来はクリスマス時期の季節商品であり、知名度の低かったパネットーネを何故メインの商品にしようと思ったのだろうか?
リヴァ氏
「ひとつには、それはやっぱり私のルーツにあると思います。私はパティシエであり、ショコラティエであり、グラシエでもありますが、何よりミラノっ子としてパネットーネをとても愛していますから。日本でお店を出すにあたって、自分らしさを表現したかったんです」

▲ガブリエレ・リヴァ氏
坂倉氏
「世の中でパネットーネが少しずつ浸透していくにつれて、なかにはブリオッシュ生地にアロマを足したものを『パネットーネ』として売っているお店もあります。それはとても悲しいことですし、私たちはプロの職人として、食文化を正しく伝えるという責務を担っています。そういう意味でも、正しいものを作る手段 を持っている『レス』がパネットーネを扱うことは意義があると感じたんです」

▲坂倉加奈子氏
パネットーネはお菓子にもパンにも当てはまらない特別なもの
「レス」のパネットーネづくりを担当するのは、パネットーネの発祥の地、イタリア・ミラノ出身であり、実家が3代続くパスティッチェリア だったというガブリエレ・リヴァ氏。パネットーネづくりに欠かせないマザーイースト「リエヴィト・マードレ」は実家からリヴァ氏に受け継がれ、共に世界を渡り歩き、イタリアから遠く離れた日本の地で「GRパネットーネ」に結実した。
「GRパネットーネ」は、リヴァ氏の名前の頭文字を商品名に冠した、「レス」の代名詞ともいえる看板商品。カットすると、リヴィエト・マードレの乳酸のふくよかな香りで幸福感に包まれる。生地はふんわりと軽やかでしっとりとしており、口に入れるとバターのコクとともにやさしく溶けていく。 ジャンドゥーヤの香ばしさとオレンジの爽やかな酸味が華を添え、甘やかな余韻を残しながら口どけていく。
パンともお菓子ともつかない不思議な魅力を持つパネットーネとは何か?という質問に、リヴァ氏から出てきたのは「唯一無二」という言葉だった。
リヴァ氏
「発酵菓子という意味では、フランスにもクグロフといったお菓子がありますし、自家培養酵母のみを使ったパンもありますが、自家培養酵母のみを使った発酵菓子というのはパネットーネだけです。パネットーネを形容するのにブリオッシュに例える人がいますが、それは大きな間違いです。ブリオッシュは一日経てば生地がパサパサになって美味しくなくなってしまうけど、パネットーネはひと月経ってもしっとりとして美味しいままです。そんなお菓子はほかにないでしょう?」
よいパネットーネはひと月も長持ちし、食べるタイミングによって違った風味や食感を楽しむことができる。その秘密はひとえにリエヴィト・マードレ(パネットーネ製造に特化した自家培養のマザーイースト)の働きによるもの。良いリエヴィト・マードレで作られたパネットーネは、気泡が均一で縦に伸び、このエアーポケットがしっとりとした口溶け につながっている。また、パネットーネ発酵種に含まれる乳酸菌はpH値を低下させ、酸性が強くなることによって微生物の発生を抑えられるので、カビが発生することなく長持ちする。
さらに、 パネットーネの材料であるフルーツコンフィも品質の保持に大きく影響している。フルーツ コンフィに多く含まれる糖にはデンプンをやわらかく保つはたらきがあり、時間が経っても、硬くなるのを防ぎます。その浸透圧の差により微生物の細胞内水分が奪われ、結果として細菌やカビが繁殖することなく、食品の寿命を延ばすことが可能になる。
イタリアが定めるパネットーネの製法規格でフルーツコンフィの量が定められているのも、味や食感だけではなく品質を長持ちさせる為でもある。レシピのそこかしこに先人たちの知恵が込められているのだ。

▲定番のGRパネットーネのほか、桜や栗など季節に応じた素材を使ったバリエーションを展開
パネットーネ発酵種は子供のように毎日面倒を見てやる
パネットーネづくりに欠かせないのが「リエヴィト・マードレ」と呼ばれるパネットーネ発酵種。これがないとそもそもパネットーネづくりをスタートすることができない。そしてこの種は毎日粉と水を足してリフレッシュさせて種継ぎをしなければならない。恐ろしく手間のかかる作業だ。リヴァ氏はこの種を実家のパスティッチェリアから受け継ぎ、ロンドン、NY、東京と、どこへ行くにもずっと一緒に旅をしてきた。
リエヴィト・マードレの管理にはいくつかのやり方があり、ガブリエレ氏はミラノの伝統的なやり方で管理している。リフレッシュさせた種を布で包んで紐でしばり、発酵をコントロールしている。

▲リエヴィト・マードレを伝統的な手法で管理
リヴァ氏
「リエヴィト・マードレはとてもデリケートで、まるで小さな子供のようです。そこに含まれる酵母とバクテリアは環境によって日々変化していきます。水の量、粉のタイプ、温度、そして光も影響します。子供に接するように毎日面倒を見てやって、その日その日の状態に合わせてやり方をどう変えていくか。この微妙な組み合わせが食感や風味に表れるから、パネットーネの世界はとても奥深いんです」

▲「本物のパネットーネを広めたい」というリヴァ氏
パネットーネづくりの手前にある種継ぎにこれほど手間をかけていることにも驚きだが、実際のパネットーネづくりにはじつに3日かかるという。
リヴァ氏
「パネットーネづくりは種がすべてとも言えるものなので、そもそも種の状態がよくなければ、その日はパネットーネを作ることはしません。種の状態に問題がなければ、まず種に、粉、卵黄を加えてミキシングし、一次発酵をとって休ませます。次の日にバターと具材をいれて本捏ねをしてまた発酵させ、三日目にやっと分割、成形、焼成します」
パネットーネの価値を高めるパッケージデザイン
「レス」のブランディングを支える要素のひとつとして、特長的なデザインのパッケージがキービジュアルとなっている。このデザイン性の高さという点は、パンと一線を画すうえでも「レス」の二人にとって重要なものだった。
坂倉氏
「見た目がパンに近いからといってパンのように単に袋詰めで売ってしまうのは、良い素材を使って職人が3日間、手間ひまをかけて作るパネットーネには見合わないですし、お客様にもその価値が伝わらないと思ったんです。「レス」のコンセプト、そしてパネットーネの価値を守るためにも、デザインにこだわる必要があると考えました」
デザインや建築に造詣の深いリヴァ氏 が日本のイメージを「折り紙」に投影し、インスピレーションをデザイナーに伝え制作。宝石のカッティングも想起させる、店名がゴールドで箔押しされた高級感のあるシックなパッケージは、「レス」のパネットーネに見合った、まさしく唯一無二の商品となっている。
リエヴィト・マードレの可能性を感じさせる「レス」の新しいクリエーション

▲「レス」の新作「Pillow(ピロー)」
伝統的なパネットーネの味と製法を守りながらも、リヴァ氏はリヴィエト・マードレの新しい可能性にも挑戦している。
子供の頃、パネットーネに入っているフルーツコンフィ が苦手で、「生地だけだったらもっと美味しいのに」と感じていたリヴァ氏が、パネットーネの生地の美味しさを前面に押し出した新作が「Pillow(ピロー)」だ。
枕を意味する「ピロー」のパッケージを開けると、「羽根枕からイメージした」という白い羽根がふわりと姿を現す。こういったパティスリーの枠を超えてデザインされた演出が顧客にとって特別な体験となり、「レス」の商品をまたひとつワンランク上に押し上げているのだろう。
まるで雲のようなふんわりと軽やかな食感が特徴のPillowは、乳酸のほのかな甘酸っぱさとバターのコク、そしてバニラの贅沢な風味が口いっぱいに広がる。生地の美味しさを存分に楽しむことができる、リエヴィト・マードレのもつ魅力を全面に表現した商品だ。

▲黄金色の生地からは乳酸菌の豊かな発酵臭とバニラの風味が漂う
「レス」のコンセプトのもとに、これからも自分たちらしいクリエーションを続けていきたいと話すリヴァ氏と坂倉氏。「パネットーネの文化と製法を守りたい」。インタビュー中、時折考えこみながら、ぽつぽつと物静かにつないでいくリヴァ氏の言葉には、ミラノ発祥のパネットーネに対する敬意と、ミラネーゼとしての誇りがにじみ出ていた。
イタリアから日本まで静かに継がれてきたリエヴィト・マードレとパティシエとしての技術、そしてミラネーゼの誇りを併せ持つリヴァ氏が生み出す「レス」のパネットーネを、ぜひ味わってみてほしい。きっと忘れ得ぬ貴重な体験となるだろう。
【取材協力】
LESS(レス)
住所:東京都 目黒区 三田1丁目-1-12-24MT3ビル 1F
営業時間:11:00-19:00
定休日:水曜日定休・火曜日不定休
オンラインショップ:こちらから
インスタグラム:https://www.instagram.com/less_tokyo/