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2025.01.28

イタリア郷土菓子とバール文化を日本で発信 「パスティッチェリア バール ピノッキオ」 岩本 彬

パスティッチェリア バール ピノッキオの岩本さん

2024年9月、神戸にイタリアの魅力をぎゅっと詰め込んだ「パスティッチェリア バール ピノッキオ」が再オープンした。もともと東京でお店を営んでいた店主の岩本彬(あきら)さんは、ある日交通事故に遭い、閉店を余儀なくされた。その後、周りのサポートにより再出発を決意。必死のリハビリを経てオープンを実現させた。

お店では現地さながらのイタリア郷土菓子とカフェを味わいながら、本場のバール*文化を体験できる。
岩本さんは、製菓の専門学校に通った経験はなく、バリスタになることも考えていなかった。偶然にもイタリアに滞在した際に出会ったバールの世界と現地の郷土菓子に魅了され、この道に。今回の取材では岩本さんのこれまでの道のりを伺った。
※コーヒーやアルコール飲料、軽食を提供する飲食店。

神戸から導かれたイタリアでのパスティチェリアバールとの運命的な出会い

さまざまなご縁もあって神戸にお店をオープンすることになったというが、実は神戸が岩本さんにとって「すべてがはじまった場所」というからおもしろい。
というのも、父の仕事の関係で小学校2年から学生時代までを過ごした思い出の地。カフェ好きの父にパン好きな母と、「食」は岩本家の楽しみの1つであり、神戸は様々な味を知った場所。ことあるごとにレストランや喫茶店に連れて行ってもらったのだそう。

「今は無くなってしまいましたが、むかし生田ロードにあった東急ハンズで、あるとき親父が『これでエスプレッソが飲めるらしいぞ』ってマキネッタ(エスプレッソメーカー)を買ってきて。あとはカルディで当時手に入ったエスプレッソローストを買って。これがエスプレッソだっていいながら作ってくれたんです。でも、『これやったら神戸にしむら珈琲*のコーヒーのほうが美味しいやん』ってガキのころはよくいっていました(笑)」

と、何とも神戸らしいエピソードが。さらに、神戸で毎年開催されるジャズイベントをきっかけに、ジャズに夢中に。ジャズ喫茶にも足繫く通い、その影響もあり中学からサックスを始めた。

※1948年創業より神戸市民に親しまれ続けている老舗コーヒー店

初めてイタリアに行ったのは、22歳のころ。きっかけはその当時使っていたサックスがたまたまイタリア製だったこと。機械で製造されるのが一般的であるが、当時使っていたそのサックスはイタリアで職人によってすべて手作業で作られていた。それを知った岩本さんは、美しい音色を奏でる自分のサックスへの愛着と相まって、工房が見たくなったという。勢いでイタリアへと旅立った。しかし、いざ工房に行ってみると、タイミング悪く製造がストップしている時期だったため、製造されているところを実際に見ることは断念せざるを得なかった。

それでもせっかくイタリアに来たのだからと、滞在先でイタリア語の勉強に励んでいたところ、後に岩本さんの人生を大きく変えることとなるマッシモ、そしてフランチェスカと出会う。

「ホテルのロビーでイタリア語の勉強をしていたら、マッシモが話しかけてくれたんです。言語の壁はありましたが、ジャズの話で盛り上がり仲良くなりました。マッシモはホテル近くのバールのバリスタで、僕が学生時代にイタリアンバールでバリスタのバイトをしたことがあり、エスプレッソマシンの使い方は知っていたので彼は驚いて。そこから彼の店で住み込みで働くようになりました」

パスティッチェリア バール ピノッキオのエスプレッソ

岩本さんはイタリアで初めてエスプレッソを飲んだとき、味やとろみ、淹れ方すべてが日本で飲んだものとまったく違い衝撃を受けたという

「そのバールの近くには、パスティッチェリアバールというコーヒーのほかにお菓子も置いてあるお店がありました。甘い香りが漂い、お菓子がたくさん並んでいて、エスプレッソマシンもありました。僕はその店に通うようになり、スケッチブックにお菓子をデッサンしていました。そこのお菓子を作っていたフランチェスカが、その様子をおもしろがり、『お菓子がそんなに好きだったら』と厨房に入れてくれました。そこにはイタリアのおばあちゃん、おばさんたち8人くらいが木のテーブルを囲んでわいわいとお菓子作りをしていたんです。そこでいろいろと話しているうちに、気づけばイタリア全土の郷土菓子を教えてもらうようになっていたんです」

イタリアの郷土菓子は「日常のおやつ」。岩本さんが神戸時代に触れてきた洋菓子は、「贅沢品」という印象だったが、イタリアでは、小さな焼き菓子を一つ買ってコーヒーと一緒に楽しむのが日常だった。家に誰かが来るときには少しお菓子を買って帰る、そんな光景が目に焼き付いた。

「パスティッチェリアバールは、日常の一部として人々に愛され、老若男女が笑顔で楽しんでいる場所でした。そんなバール文化を、日本でも広めたいと思うようになりました」

パスティッチェリア バール ピノッキオのメニュー

岩本さんのお店のメニューはすべて手書きで。1つでも何かイタリア郷土菓子のことを覚えて帰ってほしいと、それぞれのお菓子の説明も書いている

日本にパスティチェリアバールを、夢を支えたイタリアとの文通

帰国後はセガフレード・ザネッティ(イタリアに本社を置く飲食店チェーン) に就職し、東京でバリスタとして働き始める。お菓子のほうはというと、なんとフランチェスカとお菓子の文通が始まったというから驚き。

「帰国後、お礼の手紙を送り、これからもバリスタをしながらお菓子を勉強していくということを伝えたところ、すぐに返事がきて。焼き菓子が10種類ぐらいと手紙とレシピが入っていたんです。『とりあえずこれを作ってみなさい』と。そこから、お菓子の文通が始まりました。フランチェスカから合格をもらうために、トライアンドエラーの繰り返し。本場の味に近づけるために材料もできるだけイタリア産のものを探しました」

お菓子が海を越えて、岩本さんとフランチェスカの絆を繋いでいたのだ。

「製菓学校も出ていないお菓子の素人が、フランチェスカから教わったことだけを突き詰めていきました。お菓子を作っては送って、また新しいレシピが送られてきて。あとは、働いていたお店のイタリア人スタッフやイタリア好きの常連さん、東京のイタリア郷土料理店のシェフたちに試食してもらったり」

岩本さんは「自分は製菓学校も出てないし、素人が趣味で作ったもの」と謙遜したが、試食したシェフたちからは「ここまでイタリア郷土菓子を突き詰めて作っていることは珍しい」と驚かれたという。

こうしてお菓子作りの腕を買われ、カフェのドルチェを担当することに。岩本さんのイタリア菓子は着実にファンを増やしていった。

その後、タイミングよく居抜物件の紹介があり、セガフレード社を退社し独立。東京で初めての自分のお店「パスティッチェリア バール ピノッキオ」を晴れてオープンさせた。

パスティッチェリア バール ピノッキオの看板

お菓子の可愛さとマッチする日本でもおなじみ「ピノッキオ」、もとはイタリア童話。店内にはいたるところにピノッキオの置物が

「もうバールは無理かもしれない」をひっくり返した周囲のサポート

パスティチェリアバールを日本で開くという夢を叶えた岩本さん。素朴かつ本格的な郷土菓子は、イタリアに携わる多くの人たちを魅了していった。さらに岩本さんの人柄もあり常連客も増え、お店は順調にいっていた。 しかし4年前に大きな交通事故に遭い、お店の閉店を余儀なくされた。
「仕事帰りに乗ったタクシーが衝突事故を起こしてしまって。身体への影響がかなり大きく、リハビリを経て体力や身体機能は回復したのですが、痺れなどの後遺症は今でも残っています」

入院期間、もうお店に立つことは難しいだろうと考えていた岩本さん。しかしそんな気持ちとは裏腹に、お客さんや親交のあったシェフたちは岩本さんが復帰できるよう、動いていた。
「『岩本くんは絶対イタリア郷土菓子界からいなくなってはいけない人材だから力になりたい、応援させてほしい』とたくさんの方に支えていただきました。百貨店でイタリア展があった時には、知り合いのシェフがフランチェスカのレシピ通りにお菓子を焼いて病室に届けてくれて、僕のゴーサインがでたらそれを並べようと動いてくださったときもありました。この世界でこれからも生きていってもいいんだと思えたのは、こうした方々のおかげです。本当にご縁に恵まれて、ここまで続けてこられました」

自分のすべてが始まった神戸で「バール」がやりたい

退院後はイタリア郷土文化を通してつながりができた仲間と各地でイベントを行うようになっていったが、体のことを考えると不定期で参加するのが限界なのではと考えていた。

転機となったのは2024年4月、神戸のイタリア・ローマ料理店「オステリアカリメロ」でセッションイベントをしたとき。神戸でのイベントははじめてで、岩本さんにとって特別の思いがあった。イベントは大盛況に終わり、このイベントを通して意気投合した、神戸出身の「オステリアカリメロ」の仲村シェフから「一緒に神戸でお店を開かないか」と提案を受けたという。

「将来的に大きな手術が控えていて、おそらく今後、お店に立つことはさらに難しくなるかもしれない。でもこれだけ神戸のお客様に楽しんでもらえたし、もう一度店に立つという夢が叶うのであれば、自分のルーツである神戸でやってみたいと思いました。それをシェフに打ち明けたとところ、深く共感してくれて。仲村シェフはレストランとは別の形で、神戸の人にもっと気軽にイタリアの郷土の魅力を楽しめる空間を作りたいという思いがあり、僕のお菓子、カフェとお店のコンセプトがあればこの思いを形にできると言ってくれました」

こうして、オステリアカリメロの2号店として、「パスティッチェリアバールピノッキオ」は神戸で再スタートを切った。

そこは岩本さんの「全部」を詰め込んだ箱。

パスティッチェリアバールピノッキオのお菓子

それぞれのお菓子が生まれた歴史や背景を岩本さんに聞きながら食べるのも楽しい

ショーケースには、フランチェスカ直伝のイタリア郷土菓子がずらりと並ぶ。杏仁のような濃厚なアーモンドの香りが特徴のシチリア州郷土菓子パスタ・ディ・マンドルラ、アニスシードが香るトスカーナ州郷土菓子ズッケリーニ・モンタナーリなど、実に個性豊かなお菓子ばかりだ。

今までと変わらず一貫しているのは「バールをする」ということ。いつもお手本にしているのは、イタリアで出会った師匠たちや、バール・お菓子の旅でみたイタリア全国のお店のやり方だ。

「マッシモにいわれて印象に残っているのが、バールは単に美味しいコーヒーを提供する場ではなく、お客さん同士の会話やコミュニケーションが生まれる場所だということ」

これが岩本さんが目指すバールの姿であり、そのため、作り方や接客にマニュアルは存在しない。

パスティッチェリア バール ピノッキオのエスプレッソ

イタリアの文化を気軽に楽しんでほしいとエスプレッソはなんと現地価格の200円。飲む前に舌の渇きをとるために現地にならって炭酸水と提供している

「イタリアのバールでは、各お客さんが自分の好みに合わせた味や淹れ方を楽しんでいます。量や温度、カプチーノではミルクの量や泡の具合なども好みによります。それが注文時にすべてわかるわけではないんです。お客さんとのそれまでのやりとりで判断したり好みを把握していたり。それだけバールは自由。僕が大事にしているのは、注文時にお客さん一人一人の好みに合ったコーヒーを提供し、帰る時に心地よく感じてもらうこと。例えば、いつもより疲れた顔で来た常連さんが頼むエスプレッソは、元気が出るように少し強めに淹れたり。こうしたやり取りを通じて、笑顔になってもらえることが嬉しいんです」

「オープンして間もないですが、神戸の人々は洋菓子文化が根強いためか、外国のお菓子や新しいお菓子文化を楽しんでいる人が多いと実感しました。カフェやお菓子を通して、お客さんとのコミュニケーションが生まれ、イタリアのお菓子やバール文化の魅力を伝えることができています」

イタリアで岩本さんの心を満たしたお菓子とバール文化をお客さんに楽しんでもらえるよう、今日も岩本さんはお菓子を作り、カフェを淹れる。

【取材協力】
パスティッチェリア バール ピノッキオ
パスティッチェリア バール ピノッキオ
住所:兵庫県神戸市中央区栄町通5丁目1-1サンシティ栄町
営業時間:9:00〜16:00
営業日:火、水、土、日曜日
公式インスタグラム:pasticceria_bar_pinocchio

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Writer
chefno編集部
エディター兼ライター A
chefno編集部
エディター兼ライター A
商社の製菓製パン機械を扱う部署ではたらく。
職人の方々のこだわりや思いが伝わる記事・写真をお届けすることが目標です!大のハード系パン好き。
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