近年、パン職人たちのあいだで注目を集めているパンがあります。
それは、デンマークのライ麦パン「ロブロ」です。
ロブロは、千年もの昔から、デンマークで広く愛されているライ麦パンで、その独特な風味と栄養価の高さから、デンマークの人々にとって日常の食卓に欠かせない国民の糧となっています。日本でも健康志向の高まりや、サステナブルな観点からも、パン職人たちの注目を集めています。
そのロブロの火付け役ともいえるのが、デンマーク在住の食文化研究家、くらもとさちこさんです。くらもとさんは、デンマーク人の夫と結婚、出産を機にロブロの奥深さに魅せられ、「もっとロブロの魅力を広めたい」と精力的に活動を始め、2024年5月には「ロブロの教科書」を出版。「ロブロの教科書」はいまも多くのパン職人たちに影響を与えています。
そんなくらもとさちこさんが、京都にあるカフェ「スターダスト」さんで、同じく京都のベーカリー「エンタ」さんとロブロのイベントを行うということで、取材にお邪魔してきました。くらもとさんにお話をお伺いしながら、ロブロの奥深さ、歴史と魅力についてご紹介したいと思います。
目次
ドイツのライ麦パンとの違い

▲デンマークのライ麦パン「ロブロ」
デンマーク語では、ライ麦パンを「rugbrød」と記し、ロブロと発音します。rugはライ麦、brødはパンを指します。ドイツのロッゲンブロート(ライ麦パン)と双方とも「ライ麦パン」という意味の同じ言葉。じっさい両者の違いは何なのでしょうか?
ロッゲンブロート(ドイツのライ麦パン)が、ライ麦全粒粉だけを使うのに比べて、ロブロはライシュロートや砕きライ麦といった、挽き方の異なるライ麦と合わせて作るのが主流です。ですので食感がホロホロとしているところが特徴的です。でもいちばんの大きな違いは、そこに対する人々の気持ちだと思います。
ドイツの人たちにとってロッゲンブロートは数あるパンの一種であるのに対して、デンマークの人たちにとってロブロはなくてはならないもの、決して代わりのきかない大切なものなんです。
たとえば、デンマークの人たちは、旅行に行くにもロブロを持っていく人がいるくらいです。千年も前からロブロを主食にしてきた彼らは、ライ麦に含まれる乳酸菌と豊富な食物繊維が腸内環境を整えてくれることをDNAレベルで知っているのです。旅行から戻ってきたらまずライ麦パンを食べる、という話もよく耳にします。
ただのライ麦パンではない文化としての「ロブロ」

▲トークイベントでの「YENTA(エンタ)」の吉原真由子さん(左)とくらもとさん(右)
トークイベントでは、「YENTA(エンタ)」の吉原真由子さんの手によるロブロが提供されていました。吉原さんとロブロとの出会いは、くらもとさんの著書だそう。
それまでもライ麦パンは作っていたんですけど、やっぱり酸味の部分がお客さんにも敬遠されがちで、どうしようかと思っていたところに、書店でくらもとさんの『ロブロの教科書』を見つけて。本に載っていたレシピで作ってみたら、これまでのライ麦パンとはちがう。『これは美味しいぞ』となって、どんどんはまっていきました。

▲トークイベントで提供されていたロブロテイスティング。(左上から時計回りに)何も塗っていないロブロ、バターを塗ったもの、チーズにジャムを塗ったもの、バターを塗りチーズをのせたもの
吉原さんのロブロをいただいてみると、たしかに従来のライ麦パンに比べて酸味もおだやかで食べやすい。粒のような状態の砕きライ麦の部分と全粒粉の部分が合わさったロブロの食感はほろほろとしていて、かめばかむほど味わい深くなっていく。食パンとちがってなかなか呑み込むのに苦労するものの、そこにもロブロの良さが隠されていました。
よく噛まないと呑み込めないでしょう。ロブロを食べると自然とよく噛む習慣がつくんですよ。
日本だと『よく噛んで食べましょう』なんて子供に教えたりしますけど、デンマークだと何も言わなくても自然に身に付くんですよ。子供たちは、小さい頃からロブロを食べているので、よく噛むと甘さが出てくることを知っています。だから何でもよく噛んで食べるんです。よく噛むということは、食事をゆっくりと楽しめるだけではなく、消化を促進しますし、食べ過ぎを防ぐことができます。また、よく噛むことで唾液も分泌されるので、虫歯予防、あごの発達、脳の活性化など、ロブロを食べることには数えきれないほどのメリットがあるんですよ。
デンマークで暮らすくらもとさんがロブロの「底力」に驚かされたのは、息子さんが生まれて10か月が経ったころのことだそう。
政府が発行している育児の手引書では、10か月の乳幼児の離乳食としてロブロが推奨されているんです。保育園・幼稚園でもロブロが出てくる。小学校のお弁当にも『ロブロを持ってくるように』と指導があります。ここまで国民の生活の一部になっているロブロは、ドイツのライ麦パンとどんな違いがあるのだろうと思って調べ始めたのが、ロブロにのめり込んだきっかけですね。

▲ロブロの文化と魅力について語るくらもとさん
ロブロのたのしみ方いろいろ

▲イタリアンパセリ、ルッコラ、ヘーゼルナッツのグリーンペースト、黄えんどうのフムスを塗り、ケールやごぼうの素揚げ、スナップエンドウなどをのせたスモーブロ。 ロブロのクルトンを混ぜたサラダを添えて
ロブロは普段パンとして食べるだけでなく、ほかにも色々なシーンに登場します。なかでも、ロブロと切っても切れない関係にあるのがスモーブロです。バターを塗ったりジャムを塗ったり、サラダやエビ、にしんといった具材をのせることで、朝食からおやつ、夕食にいたるまで、デンマークの生活のあらゆるシーンにスモーブロは登場します。
スモーブロというと、オープンサンドのようなものをイメージする方が多いと思いますが、スモーブロの『スモー』はパンに塗るもの全般を指しますので、スモーブロは『何かを塗ってあるロブロ』という意味なので、ジャムを塗っただけのものでもスモーブロの一種ということになります。
デンマークにはスモーブロレストランという専門店もあって、コース料理のような感じで、何種類ものスモーブロを時間をかけて愉しむという文化もあります。
また、こどものおやつとしても、ロブロにバターとはちみつをたっぷり塗った、通称「はちみつごはん」が王道です。こんなふうにデンマークの人たちの暮らしのそばにはいつもロブロがあるんです。
ハレの日にも登場するロブロ
デンマークに強く根付いている考えで「皆で一つの食べ物を分かち合い、喜びを共有する」というものがあります。普段の食生活のみならず、ハレの日にもロブロは登場します。
クリスマスやお祝いの日には、ホームパーティーで10種類くらいのスモーブロを用意したり、誕生日にはロブロのケーキも登場します。デンマークがあるユトランド半島の南の地方に伝わる、伝統的なロブロのケーキは、小麦粉やバターを使わず、ロブロやヘーゼルナッツを砕いたものとココアで作ります。

▲小麦粉の代わりにロブロを使用したケーキ。デンマークの国旗は祝賀を意味しており、お祝いの日のケーキには必ずと言っていいほど立てられているのだそう。
ロブロは懐が深くて、日本の食事にも十分に合うと思います。
ロブロのスライスにひじきや切干し大根をのせても美味しくいただけます。ロブロは栄養価がとても高いので、食が細くなってたくさん食べられない人にもいいと思います。
その昔、人々は厚切りのロブロをお皿代わりにしてお料理を食べていました。ロブロの上のお料理を食べているうちに、料理の味が染みて柔らかくなったロブロを最後に食べていたんです。そういった意味でも、日本の煮物とロブロはとても相性がいいと思いますよ。
最後まで無駄にしない
ロブロが生まれたデンマークは、世界屈指のサステナブル大国。ロブロの食べ方にもその精神を見出すことができます。
昔の人たちは固くなってしまったロブロを、お水やビールでおかゆのようにして食べていたそうです。ロブロはもともと長持ちするパンで、常温で一週間から10日もつパンなので、一般家庭では一週間で食べきってしまうと思いますけど、スープに入れて食べるのも美味しいですよ。また、味のしっかりしたうまみの多いパンなので、ダシにもなります。ほかにも、サイコロ状にカットしたロブロにオリーブオイルをまぶして、オーブンでカリカリに焼いたものをポタージュのクルトンにしたり、甘いそぼろ状にしてヨーグルトにトッピングしたりと、余すところなく使えるのもいいところです。
こんなに長持ちするパンってほかになかなかないですよね。
そうですね。一般の方はみなさんびっくりされますね。『こんなに置いていいんだろうか』と怖がられる方も多くて、冷凍庫に入れる方もいらっしゃいますけど、そうすると固くなって食感が悪くなってしまうので、常温で保管していただくことをお勧めしています。一週間で食べきれなければクルトンや甘いそぼろにして、最後まで無駄にせずに食べてほしいですね。

▲日が経って乾燥してきたロブロは、粗くほぐして甘いそぼろ状にしてヨーグルトのトッピングにすれば最高のアクセントに
土をよみがえらせるライ麦の栽培
くらもとさんが伝えたいロブロの魅力は、その美味しさや健康面、使いやすさだけではありません。ロブロの原料であるライ麦にも、次世代に伝えたい大切な魅力があります。
ライ麦は背が高く、2メートルの高さまで成長します。そして根もまた、背の高さと同じだけ地中深くに張るんです。日本の土が瘦せていると言われている原因のひとつが、農薬を使いすぎていること、もうひとつが耕運機の重量で土が固くなることなんです。ライ麦を栽培すると、その根が地中深くまで伸びることで土をほぐして水はけや通気性をよくしてくれて、微生物の活動も促進されるので、土壌改善に非常に有効なんですよ。

ロブロってこんなにも色んな魅力があったんですね。日本でロブロを広める活動をされてみて、パン屋さんの反応はいかがですか?
じっさいにロブロを焼かれている日本の職人の方たちにお会いする機会が多いのですが、そのなかで、人の役に立ちたいという思いでパンを作られている方がとても多いことに感銘を受けています。ロブロは栄養面だったり、環境への影響だったり、いろんなメリットを伝えることのできるパンだと思っています。きっとお客さまにも喜んでいただけるパンになるんじゃないかと思います。
わたしが『ロブロの教科書』を出した時にはロブロを購入できるお店は3軒くらいだったのが、いまでは100軒くらいになっています。この短いあいだにこんなに増えたことはとても嬉しいですし、感銘を受けています。講習会にもたくさん来ていただいていますし、みなさんの興味度が加速している印象を受けます。

▲日本でのロブロの火付け役となったくらもとさんの「ロブロの教科書」
取材を終えて
小麦よりも耐寒性がよく、痩せた土地でも栽培できたライ麦は、北欧デンマークの冷涼な気候と土壌で栽培できる貴重な穀物でした。千年にも渡ってデンマークの人々の暮らしに寄り添ってきたロブロは、サステナブルの精神そのものといえるのではないでしょうか。
そして千年の時を経て、くらもとさんというひとりの女性の情熱によってその精神や文化が異国の地で広まっていく姿は、いまの時代を色濃く映しているように思えます。
【取材協力】

STARDUST(スターダスト)
住所:京都府京都市北区紫竹下竹殿町41
営業時間:11:00-18:00
定休日:水・木曜日
公式HP:http://stardustkyoto.com/
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/stardust_kana/