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2023.07.28

オーストラリアからつづる!ブーランジェ通信 by成澤 聡Vol.06『労働者が強い国。オーストラリアの労働環境とベーカリー経営』(後編)

オーストラリアのベーカリーLITTLE CARDIGANの店内

前編では、雇用者側からみたオーストラリアの労働のことや労働基準法についてざっくりとご紹介しました。オーストラリアで働く人たちがどれだけ手厚く守られ、ワークライフバランスが充実した生活をしているかイメージしていただけたのではないでしょうか。今回は、経営者目線から見た、オーストラリアの労働環境についてお話ししたいと思います。

自店のベーカリーをオープンしてから、製造面は多少のトラブルはありましたが、これまでの経験を活かしなんとかリカバリーしながら楽しく運営をしています。一方、雇用面では “労働者が守られる”という意識が浸透した従業員達の人事のことで手を焼いており、本当に毎日悩みが絶えません。

僕の愚痴を聞いてもらう前に(笑)、オーストラリアの歴史と人々の価値観について触れておきたいと思います。みなさんに、オーストラリアの理解を深めてもらうためにも、自分の気を鎮めるためにも…。

 

オーストラリアの歴史的背景と労働法整備との関係性

オーストラリアの法律が労働者に有利なのは、歴史的背景と人々の価値観、そして政治的背景があります。イギリスの流刑植民地として開拓されたオーストラリアは、反権威・反権力的な人々が多く、階級社会に対する反発が強かったといわれています。それもあってか、平等主義の考えをもつ人が多く、mateship(マイトシップ)※への意識が高いです。また、島国という地理的条件、移民の影響、教育や社会政策などによって、オーストラリアでは家族やコミュニティの重要性が高く、経済的な成功だけでなく個人の幸福や満足感を重視する価値観が社会全体に根付いているんです。

※マイトシップ:オーストラリアにおける助け合いの意識、有名なオーストラリア人気質のこと

そのような背景もあり、労働においても平等を求める意識が強くなったといわれています。その表れとして、労働組合による労働法の改革運動が盛んなことがあげられます。労働組合から派生する政党が政治的に大きな権力を持ち、法整備にも深く関わっています。

労働者を基軸とした労働法には、労働者の権利保護、賃上げ、有給休暇の法定化などが盛り込まれ、時代と経済状況に応じて随時法改正がされてきました。労働者自らがワークライフバランスの重要性を訴え、労働条件や労働時間の短縮などが実現し、オーストラリアのワークライフバランスを確立してきたのは、こうした背景からだったのです。

メルボルンの景色

▲経営者として頭を抱える日々。ある休みの日の朝に散歩していると、気球に乗ってどこまでもいきたい気分に

 

経営者はつらいよ

さてさて前置きが少し長くなってしまいましたが、ここからが本題です。

労働者(雇われる側)にとっては最高の国オーストラリア(笑)ですが、経営者としては苦労する国だと感じています。苦労話をあげればキリがないのですが、みなさんがもしオーストラリアで経営者になる場合に、知っておくと良いことを4つに絞ってみましたので、愚痴っぽくならないようにご紹介していきます。

①とにかく高い人件費

従業員が守られ、労働を提供する見返りとして権利を行使できる仕組みがあることはとても大切なことで、どの国でもそうあるべきだと思います。

しかし、ここは声を大にして言いたいのですが、とにかく人件費がかかる、かかり過ぎる!!その上、みんなよく休む!あ、こういうと休んじゃいけないみたいに聞こえますね、えーっと、みんなちゃんと休みをとる!遠慮せずとる!といったほうが良いかな(苦笑)。

経営者としては、誰かが休みを取ればその穴埋めをしなければならず、今は自分がその役を担っています。必然的に僕のワークライフバランスは崩れがちです。

人件費の話に戻りますと、まず最低賃金が高いこと、そして前編でもお伝えしました年金を雇用主が全額負担する年金制度(SuperAnnuation)があることです。必然的に、雇用主が負担するお金が多くなるのです。しかも今年の7月から最低賃金がまた上がりました。加えてSuperAnnuation(年金)の負担割合も10.5%から11%に上がります。そして2025年までに負担割合が12%まで上がるそうです。物価も上がっているので納得はできるものの、経営者としては厳しい状況というのが正直なところです。

この高い人件費や物価高の影響は、僕たちが製造するパンの販売価格にも響いてきそうです。ここまで影響が出てくると、パンの価格改定もやむを得ない状況なりつつありますが、毎日食べる食品(パン)は価格のハードルを感じることなく、多くのみなさんに食べていただきたいという想いもあります。現実問題との葛藤がこれからも続きそうです。

オーストラリアのベーカリーLITTLE CARDIGANの食パン

▲店の食パンをいろんな人に食べてもらいたい。でも価格改定を余儀なくされたら日々のパンにならないかも…

②売り手市場?良い人材がみつからない

ベーカリーでの作業がはかどるかどうかは、職人一人ひとりの経験や力量に大きく左右されてしまいます。単純に考えれば経験者を雇えばいいと思いますが、そもそも希望する人材がそう簡単に見つからないのが現実です。

僕の店があるメルボルンは飲食店が多く、オーストラリアのなかでも比較的レベルの高いサービスが求められている気がします。ゆえに、優秀な人材の確保が必要なのですが、慢性的な人材不足だけでなく、競争も激しく、なかなか良い人材が見つかりません。また、良い人材が見つかったとしても安心はできません。飲食業は離職率も高いので、長く働いてもらえる保証はありません。

人の手に頼らず機械化を進めることで時間を短縮することは可能ですが、機材導入には莫大な初期投資に加え、機材を置くスペースの確保などが必要です。今、僕のベーカリーは場所の制限もあり、商品ラインナップと製造量を考えると、最低限の機材しかありません。欲しいと思っている機材はいくつもありますが、資金の都合もあり、現状がベストな感じです。機材導入が難しいのであればやはり人材確保をしたいものの…。

成澤さんお気に入りのダブルアームミキサー

▲機械は最小限ですが、いい仕事をしてくれる機材ばかり。僕のお気に入りはこのダブルアームミキサー

③文化の違いに苦戦。人材育成の難しさ

ベーカリー開店時のスタッフは、経験はなくてもやる気があり、チームメンバーとして活躍してくれそうな人材を選んで採用しました。未経験者を積極的に採用した背景には、僕自身がはじめて働いたベーカリーに未経験で雇ってもらったことがあるからです。経験、年齢に捉われず、やる気と努力しだいでスキルとやりがいを見つけられることを身をもって経験してきたからこそ今のパン職人の自分がいます。
もちろんベテランを採用すれば製造面で安定はすると思いますが、ベテランだからといって現場が必ずしもうまく回るというわけでもないという僕の考えもあります。それに、先ほど触れた通り、そんな簡単にベテランの良い人材が雇用できる状況でもありません。

開店して以来、ベーカリー未経験の従業員をトレーニングする日々が続いています。ゆっくりですが皆確実に進歩しています。この店で僕だけが唯一のベイカー経験者のため、作業上のフォローや負担が大きく、体力的にも精神的にも正直しんどいのは否めませんが、着実に任せられる仕事も増え、最近ようやく僕もまともな休みが取れるようになりました。それでも、今の製造状況では、量・質ともに当初予定していたレベルには達していません。パン職人になってからというもの、とにかく見て習い、経験を通じて技術や知識を身につけてきた職人気質な僕としては、コツコツと着実に数をこなすしかないんだろうなと思っています。ですが、その想いがなかなか伝わらないのが現実です。文化の違いもあり、仕事に対する姿勢や自己肯定感の高さ、ワークエシック(労働倫理)の違いに手を焼き、オーストラリアでの人材育成に悪戦苦闘しています。

オーストラリアのベーカリーLITTLE CARDIGANでのクロワッサンの製造

▲もっといろいろ作りたいんだけど…。バリエーションを増やすにはもっとスタッフのスキルを高くしなければ

④労働法は遵守一択

前編でお話しした通り、従業員の休みは保障する必要があります。勤務時間や有給休暇、最低賃金もきっちり守らないといけません。でないと後で大変なことになるからです。というのも、オーストラリアで働く多くの従業員は、守るべき労働基準法の内容をしっかり知っていて、雇用主がもしそれらを守っていなければ然るべき対応をとり、訴える権利があることを知っています。実際、従業員に訴えられた飲食店の話をよく耳にします。なかには給料の未払金と罰金の支払いで倒産してしまったお店もあるほどです。裁判の結果次第では、オーナーが投獄される可能性さえあります。中小企業の経営者の一人として、耳の痛い話です。

なので、これくらいならいいだろうと思って、多めに残業させてしまうと痛い目にあうのです。

 

さいごに

ここまで、グッと堪えながら愚痴にならないように努めましたが、結局、暗く愚痴っぽい内容になっていませんでしたか?(苦笑)。暗い話をしてしまったかもしれませんが、ワークライフバランスが社会に浸透しているオーストラリアで暮らしていることに、これ以上ないほど満足しています。

オーストラリアの多くの人が仕事のために生きているのではなく、自分の人生のために生きていて、仕事はその人生を構成する要素の一つに過ぎない。業種に拘らず転職することも当たり前だし、いくつになっても大学に入って自分自身のために新たなことを学ぶ人も多くいます。

パンしか作ってこなかった僕がお店を出せたのも、メルボルンに来たからできたと思うと「なんとかやるしかない!」と思っています。でも、こういう考えがとても日本人っぽい考え方だなと思ってしまうわけです。

メルボルンの朝焼け

▲お店から見える朝焼け。日の出のマジックアワーに冷たい空気を吸ってショートブレイクして、心を落ち着かせます

 

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Writer
成澤 聡
成澤 聡
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パン職人になってかれこれ20年余。2012年、縁あってオーストラリアに移住。2022年12月、仲間と共にベーカリーとコーヒーロースタリーが併設した店舗をオープン。マルチカルチャーなオーストラリアの文化と人々に刺激されながら、美味しくて、楽しくて、そしてサステナブルなパン作りを日々模索しています。オーストラリアはメルボルンから、パンにまつわるエトセトラはもちろん、日々のことなどをお届けします。
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エディター兼ライター シオリ
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