はじめまして。
今までパティシエ通信を担当されていた「岸 綾子」さんからバトンを受け 、新たに担当をすることになりました木村 翔と申します。
私は、日本で10年、フランスに移住して5年目になるパティシエです。
現在はパリにある「LES TROIS CHOCOLATS PARIS(レ・トロワ・ショコラ・パリ)」のシェフパティシエとして働いています。
かつて、月に一度はパティシエを辞めたいという衝動に駆られていた私。今回は、そんな私が「渡仏して良かった。パティシエをしていて良かった。」と思い至るまでを皆様にお話しできればと思います。
私の父は、青森県三沢市でパティスリー La France(ラ・フランス)というお店をしています。
そんな父から「お前は将来パティシエになるんだから、勉強はしなくていい。何の資格もいらないぞ。」と言われた私は、自分の進路について疑うこともなく、学生時代は必死に受験勉強をしている同級生たちを横目に勉強もせず一日中スケボーをしていた記憶しかありません。
高校を卒業した後は、父が敷いたレールに沿って進むかのように、父の紹介で関東の有名洋菓子店で働くことになりました。
その当時、世間はパティシエブーム真っ只中。その影響もあり、私が働いていた店は、開店から閉店までお客様の列は絶えず、1日の労働時間はなんと23時間…
貴重な1時間の休憩時間は、風呂に入るか、ご飯を食べるか、寝るかの三択でした。
父の背中を見て育ち、パティシエという仕事を理解していたつもりでしたが、この世界の厳しさに耐えられず、そのあいだ一度も乗ることができなかったスケボーを手にわずか一か月半でお店を辞め、地元に戻ってしまいました。
実家に帰り、パティシエを辞めたいことを伝えると、父はそのことについては何もふれず、ただ「フランスで本場の菓子を見てこないか」と私に言いました。
「もしかしてパティシエという職業は世界でも通用する仕事なんじゃないか。」父の言葉を聞いて私は思いました。
それは、この仕事をすこしだけ「かっこいいな」と思えた瞬間でした。
その時から、いままで「OFF」になっていた自分のパティシエという仕事に対する気持ちが「ON」に切り替わりました。
このようなきっかけもあり、その当時19歳だった私は「フランスに行く」という一つの目標ができ、準備を始めたのでした。
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