パン職人、パティシエを志す職人の卵の皆さんや、既に職人として現場で活躍中の皆さんにとって、海外で経験を積み、職人としての幅を広げたい!という想いを抱いた経験をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。
近年、パンや洋菓子の世界大会で日本人の職人たちがトップの座に輝くことも珍しいことではなくなってきました。海外修行を経て活躍の場を日本に移す職人も増え、国内でも「世界レベル」の職人のもとで働くことは可能になってきています。SNSの発達にともない海外の職人たちの技術や情報をリアルタイムで入手することも、以前に比べると随分身近で手軽になってきましたし、コロナ禍で、海外の専門学校の授業をオンラインで受講することだってできてしまう時代!
そんななか、なぜ「海外」なのか? 実際に、海外で学び、働いた経験を活かし、現在日本でパティシエとして働く3名の体験談から、「海外」で働いたからこそ得られた経験、想い、苦労、どんな魅力や違いがあったのかを探っていきます。
目次
海外生活がスタート!暮らしや仕事を通して学んだコト、感じたコト
不安と期待を胸に、いよいよ海外での生活がスタートです。出発前に準備していた語学、お金、人脈、就労プランなどは、実際の海外生活でどのように活かされたのか、思い描いていた通り進んだのか? 変化があったのか? そして、今回の特集の本題である「日本」ではなく「海外」だから学べたコトとは一体何か?
渡航前の準備についてお伝えした<前編>に続き、<後編>では渡航後の現地での生活や、実際に働いてみた職場の様子や、仕事についての体験談をお聞きしていきます!
<体験談を伺った方>
学生ビザで渡航し、フランスの製菓に特化した職業訓練校へ留学。現場経験の必要性を強く感じ、滞在を延長。トレーニービザ(※現行存在なし)を取得し、イギリスのパティスリーで2年間就労。帰国後、現在は製菓関連の研究開発職に従事
※現行で近しいビザは、Graduate Trainee visa
https://www.gov.uk/graduate-trainee-visa
こちらのビザの現行の期限は1年間だが、じゅんこさんが取得した当時は就職しての研修を目的に2年間滞在できた
フランスの製菓学校へ留学後、洋菓子店で6ヵ月間の研修、同製菓学校のアシスタント職として10か月就労。帰国後、現在はチョコレート製造業に従事
日本で菓子製造と販売の仕事に従事後、本場でフランス菓子を学びたいと渡仏。学生ビザで渡航し、語学を学びながら職人としての技術を磨く。学業を終えた後は、ワーキングホリデーも活用しつつパティスリー、ショコラトリーでトータル4年間就労。帰国後はチョコレート製造業に従事
Q.海外生活がスタートして、どんな想いで日々を過ごしていましたか
外国の文化や習慣、違う価値観の人たちと接することはかけがえのない経験だと感じながらも、外国人としてその国に滞在し続けることの大変さを常に感じていました。
例えば、イギリスで転職の際にビザの修正が必要になり、手続きを行ったものの、最終的に変更したビザが下りたのはビザの期限(2年間)の終了の3か月前! その間、就労も海外旅行も可能でしたが、もしビザがおりなかったらすぐに帰国しなければならないとずっと不安な思いでした。
パリ留学時は、ロートレック※が絵を描きに来ていたという古い素敵なアパルトマンに住んでいたのですが、古いだけに水回り、暖房などいろいろトラブルに見舞われました。水漏れで修理が必要になり、修理予定日に学校の授業を休んで一日家で待っていても配管工が来ない!なんてことはよくある話。別日にまた学校を休まなければならなかったり、修理の人に部屋の中は土足禁止と言っても靴を脱ごうとしなかったり、嫌な思いを多々しました。「ただ、ここに居続けることがこんなに大変だなんて・・・」と何度も思い、なかなか落ち着けない、という感覚で過ごしていました。
※セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンとならんで19世紀後半のパリを表現した印象派の代表的なフランス人画家。
渡仏してはじめの3ケ月が精神面でいちばん辛かった時期です。言語も文化も全く違う異国の生活に慣れるまでに必要な期間だったのかもしれません。言語の習得もしたいし、職人としての技術も磨きたかったので、「3年は絶対!」と心に決めていた事が自分的には大正解だったと思います。それで踏ん張れたといいますか。
徐々にフランス語でコミュニケーションをとるのが楽しくなり、フランス以外の外国人も周りにたくさんいたので、他国の文化にも触れ、興味を持つことができ、なによりフランスの文化がとても好きになっていきました。
Q.実際に海外で仕事をしてみて感じたこと
現地での生活や行事におけるお菓子の存在や重要さ、そして現地の材料の豊かさを実感できたことはとても大きな収穫でした。またいろいろな出会いがあったこと、様々な価値観に触れ、その違いを知ることができたのも大きかったと思います。
苦労した思い出と言えば イギリスの職場にはイスラム圏出身の同僚が多かったのですが、更衣室で、私のエプロンの上でひざまずいてお祈りをしている姿を見つけたので、クレームをしたところ、職場で大事になり、シェフにまで話が伝わってしまい、しばらくそのイスラム圏出身のグループ全員が口をきいてくれなかったことがありました。お互いがそれぞれ正しいと思って行動していても、完全に理解し合えないことがある、と学んだ出来事でした。その当時は、とても嫌な思いをしましたが、結果的に、こういった文化や宗教の違い、価値観の違いを肌で感じることができたとても貴重な体験だったと思います。
製菓学校では、M.O.F.を取得されたシェフのアシスタントに付く機会が多く、一流の仕事を間近で見られました。また、サロンデュショコラのデモンストレーションに参加するチャンスも得ました。基本を学ぶ時期にあった私にとって、大変貴重な経験となりました。技術力の高いシェフのアシスタントに付く、大きなサロンに参加する、こういったチャンスは、前編の冒頭で触れましたが、語学力があったことが大きかったと思います。シェフたちからの細かい指示を正しく理解し、指示通りの準備がこなせるか否かで信頼度が決まり、与えられる仕事内容に直結するという世界でした。仕事をしっかりこなしていれば認めてもらえる! 悔しい思いをしてもめげずに頑張ることが大事!と自分を鼓舞して必死に取り組んでいました。
日本では製造の仕事をしながら販売の仕事もしていたため、製造の技術がなかなか満足に身につけられなかったんです。
その点、フランスでは製造業務に専念することができ、幅広い経験を積み、じっくり時間をかけて技術を習得することができました。語学を学び、フランスをはじめとする多くの国の人とコミニュニケーションをとることが出来るようになり、様々な文化や考えに触れたことで、今までの価値観にプラスアルファの「自分の考えや行動」が加わり、職人としても人としても成長する事ができたと思います。
「M.O.F. (エムオーエフ)」 とは?
あやさんのお話に登場した「M.O.F. (エムオーエフ)」とは、Meilleur Ouvrier de France の略称で、「フランス国家最優秀職人章」のこと。
食、建築、服飾、宝飾、美容等200種以上の職業を対象に、フランス文化の最も優れた継承者たるにふさわしい高度な技術を持つ職人に与えられるフランス国家の称号。その評価は名を馳せた著名な人が対象というわけではなく、ひとつの道に心身を打ち込んで今後ますます活躍するプロフェッショナルを対象としており、フランスでは料理人やパティシエにとって最高の栄誉といえる憧れの存在。日本の人間国宝に近い存在として敬われています。あやさんが研修をしていたARNAUD LARHER(アルノー・ラエール)氏もM.O.F.のひとり。日本でも出店している有名なパティシエのひとりです。
ショコラティエのジャン・ポール・エヴァン氏や、料理人のジョエル・ロブション氏なども、日本に出店しているので、その名を耳にされた方は多く、この業界に携わっていない方でも知るところとなっています。
M.O.F.のコンクールは4年に一度行なわれ、出場者は2〜3年以上の長い期間をかけて技術を競います。フランスで5年以上働き、過去に著名なタイトルを取得していること、そしてフランス人の後見人からの推薦状が必要など、応募するだけでもハードルは高い!
料理人やパティシエの世界だけではない。フランス人だけでもない!日本人M.O.F.もたくさん!
M.O.F.は、フランス人だけに限らず、その優れた職人技が認められれば外国人にも与えられる称号。
理容師の吉野泰央氏、バイオリン製作の笹野光昭氏、帽子職人の日爪ノブキ氏、菓子部門賛助会員の美ノ谷靖夫氏、鞄職人の細井聡氏、オート・クチュール刺繍の関元聡氏など、料理やパティシエ以外の世界において日本人がM.O.F.を受章し活躍されているのです。日本人にとっても夢ではないM.O.F.。いつの日か、一流の職人を目指す皆さんが、その称号を手にする未来がやってくるかも知れません!
Q.日本に帰国したのはどうしてですか?そしてこれから海外で働こうとしている人たちへ、アドバイスを!
2年有効のトレーニービザが切れるタイミングで帰国しました。区切りのいいタイミングだったため、日本で次のステージに進もうと決めました。
海外で働くチャンスがあるなら、是非やってみるべきです! ただし、語学は十分な準備が必要!!
学生ビザの期限のタイミングで帰国。残りたい気持ちはありましたが、就労ビザの取得は難しかったため、断念しました。ただ、日本に帰国し、日本での社会経験を積むという今の選択も結果的に良かったと感じています。
予め目標や夢を明確にし、それを達成するためにはどうしたらいいのか?をイメージしておくと、現地に行ってから動きやすいと思います。良い時も悪い時も、全て自分の財産になると思って海外生活を楽しんでほしいです!
学生ビザでの滞在は金銭的にも限界があり、最後の一年はワーキングホリデーに切り替えて滞在、その期限をもって帰国しました。もし就労ビザの取得が叶っていれば、もう少し滞在していたかった気持ちはあります。
コロナ禍で、以前のようには海外に行きづらくなっていますが、海外での経験は確実に自分の国そして他の国に対する見方が変わり、生活面、仕事面において視野が広がります。今まで当たり前だと思っていた日本での暮らしは、他の国のあたりまえではない。この「あたりまえではない」ことの意味を海外に住むと強く感じ、知ることができました。いかに私達が恵まれている環境にあるかを、再認識できた貴重な時間だったとも思います。
皆さん、不安や苦労を抱えながらも、異国の地で切磋琢磨された様子が伝わってきましたね。
技術面だけを切り取って学ぶなら、日本でも十分に学び、経験を積むことができたのかもしれませんが、親元を離れ、単身海外で挑戦したこと、そのことだけでも、まず大きな「自信」となって彼女たちを輝かせているのだと感じました。
そして、そんな皆さんの海外での体験談をお伺いし、今回のテーマである「『日本』ではなく『海外』だから学べたコト」についての答えを知る重要なキーワードは、「文化ごと知る」と、いうことではないかと思いました。
例えば、いまや世界中で食されるようになった「寿司」ですが、人生の節目の祝い事、四季折々の祭り事などを彩ってきた、我々日本人にとっての「寿司」と、海外でひとつの料理のカテゴリーとして知られている「寿司」とでは、同じ寿司でも文化的背景の重みが全く違います。
それは、フランス菓子やフランスパンでも同様に、それが誕生した土地ならではの文化や習慣があり、その土地の人々にとってそれらがどのような存在なのかを、実際に暮らしながら働くことで「文化ごと知る」ことができ、その文化を好きになったり、自国のそれと比べてみたり、技術として形にしていったりすることができる。
これこそが、「日本」ではなく「海外」で学ぶ最大の魅力なのではないでしょうか。