昨年、chefno編集部が主催した開業予定者の座談会に参加していただいた谷本久実さんが和歌山県紀の川市で2024年1月13日にパティスリー〝KII(キイ)″をオープンしました。
修業時代に培った技術と自分の目と舌で選び抜いた食材を使って生みだすお菓子への想いと、お店を開く事の実感を伺うべく、オープン前日にお邪魔しました。
使いたい素材で作りたいお菓子を作る
自店オープンの1日前。柑橘を50種類以上栽培する、日本でも随一の果樹園である紀州原農園さんから届いた箱の中身を見て、驚く谷本さん。「仏手柑(ブッシュカン)も入れてくれてる!これ、知っていますか?」と尋ねられた筆者がこの果実の実物を見たのは初めてでした。
果実の形が独特で花のような強い香りを持つ果物。仏手柑という名前はどうやら、形が手の指に似ていて、千手観音を連想させることに由来するようです。どんなお菓子になるのか尋ねると、実もなく果汁も少ないため、皮の部分を砂糖漬けにしたり、マーマレードのように炊き上げたりするのがお勧めとのこと。
後で調べると、果実の先が広がっている〝末広がり″の形になっていることから、商売繁盛を祈願する縁起物としてお正月に飾られることもあるようです。開業直前のお店にそんないわれのある珍しいお届け物をしてくれる果樹園さんとの関係性が素敵で、谷本さんは人に好かれる素質を持っているのだと感じました。
谷本さん曰く、「和歌山には市場にあまり出回っていない柑橘も豊富」とのこと。「旬の果実を使って地元の食材のアピールもしていきたい。試作に時間を十分に割けるのは、もう少し先になりそうですが、自分が使いたい素材で思うままにお菓子を作るために地元での開業を決意したので頑張ります」と語ってくれました。
自分ですること、人に任せること
独立開業という人生の大きな節目では、想像していたよりもはるかにすることが多くあり、思いもよらないアクシデントもあったと話す谷本さん。独立を決めてからオープン日までは瞬く間に過ぎていったそうです。
忙しい中でも自身で手掛けると決めていたことは、市販品を使わず、ガレットデロワ用のフェーヴを知り合いの窯元さんを訪れて自作したり、お店のロゴやギフト用の包装紙のデザインも自ら考えること。
「実際に仕上がったフェーヴや包装紙には、満足しています。お店のカラーにもなりますし、自分のお店だという実感がさらに増しました。私にとってこの2つは、自分のすべきことでした」
冬には、商品開発以外の開店準備を着々と進めつつ、1月のオープンに先駆けて、クリスマスケーキの予約販売。そこでも改めて自分だけでできること、すべきこと、人に任せられることを整理していかれました。
「初めてのクリスマスはとても大変でしたが、オープン前に経験できてよかったと思っています。協力してくれる方々に自分の思いを伝えて、お願いできることは信頼して任せる。そして最終確認と判断は流されずに自分が行う。そんなスタイルが明確になったと思います。クリスマスケーキを販売する前は、製造の仕事はすべて自分一人で手掛けようと思っていましたが、焼き物の型の準備や、苺をカットする作業は人に任せることにしました。お店の開店準備・閉店作業に加えて、焼き菓子の袋詰めや包材の在庫管理なども販売の方にお願いしています。
地元での開業なので、オープンしてすぐは知り合いがたくさん来てくれるとは思いますが、その後も継続して来てもらえるかはお店次第。あれこれやりたいことは多いですが、長く続けていきたいので、1つ1つの経験や失敗から学び、無理をしすぎないように意識して進んでいきたいです」
芯の強いメッセージを語られる谷本さんの仕事ぶりが、店内と厨房をつなぐ扉の隙間から確認できるのも〝KII″さんの魅力です。
1歩ずつ、やりたいことを形に
谷本さんは製菓専門学校を卒業後、パティスリーでの修業期間を経て渡仏。その後はフレンチレストランでシェフパティシエールとして働かれた経歴の持ち主です。パティスリーとレストランでは甘いものを作り出すという共通点はあるものの、仕事内容は異なる部分も多かったとか。
「パティスリーでは加工された材料が入ってくることが多く、規模が大きいお店になればなるほど、安定して供給できる素材を使うことも増えてきます。それは、従業員の数が増えても、ブレることなくお店の味を守りぬくためでもあるんです。
一方レストランでは、とても自由な素材選びが可能です。私は材料を素材から作ることがしたかったし、作るお菓子によってフルーツ1つ1つを選びたかったんです。修業時代にパティスリーで職人としての技術を磨き、レストランで素材と向き合う時間を重ねられたことは幸せでした。実はKIIでは、この品種のイチゴはタルトに、こっちはショートケーキにというようにお菓子によって使うイチゴの種類を変えているんですよ。自分のやりたかったことを1つずつ形にしています」
取材を終えて
オープンから約2カ月がたった現在も、生菓子は完売する日が多いとか。
「個装されたものではなく、外側が〝カリッ″としたバターの風味豊かな焼きたてフィナンシェも絶対提供したい」と語られていた谷本さん。今では見事に有言実行され、ショーケースの上に毎日焼きたてフィナンシェがお目見えしています。谷本さんの目と舌で選りすぐられた素材から生まれるお菓子を味わいに出かける日を、筆者も現在計画中です。
●取材協力
KII(キイ)
住所:和歌山県紀の川市粉河1107-5
アクセス:JR 粉河駅から徒歩5分
営業時間:11:00-17:00
定休日:月・火・水曜日
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/kii.kokawa/