お店の経営に欠かせない3大要素「ヒト・モノ・カネ」。その中でも「ヒト」は切実な問題と言えます。「早朝出勤、連日残業は当たり前」、「体力的にきつい」など、労働環境の厳しさなどから特に離職率が高いと言われるベーカリー業界。慢性的な人手不足に頭を悩ませているオーナーさんも多いのではないでしょうか。
そんななか、同業シェフたちからチームづくりについて相談を受けることも多く、チームづくりに定評があるのが千葉の人気ベーカリー「ベーカリー ハイジ」の宮下真彦シェフ。看板商品「クレセント」を一日300個売り上げるまでに育て上げたパン職人としての手腕を持ちながら、自身でもオンラインサロン「ベーカリービジネスアカデミー」を開催するなど、有能な経営者としての一面も併せ持つやり手シェフです。
宮下シェフにお店のリクルート事情をきいてみると「スタッフが辞めないので逆に多いくらい」との答えが。そんな「スタッフが辞めないベーカリー」、ハイジの宮下シェフにチームづくりの極意を聞いてきました。
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スタッフの数は逆に増えている
「ベーカリー ハイジ」ではスタッフが辞めないと聞きました。
宮下シェフ
「そうなんです。逆に増えてますね。入社希望者も絶えないので、一応面接するんですよ。『とりあえず会おうか』みたいな。それで『こいついいやつだな』となるとつい採用しちゃうんですよね。
スタッフが増えたら当然売り上げを上げなきゃいけないので、どちらかというとそっちですよね悩みは。来年も新卒が3人来ることになってて、どうしようかなと思って(笑)」
働きたいとやって来る人はどんな人たちですか?
宮下シェフ
「専門学校から来る子たちもいるし、中途採用も多いですね。とくに独立希望の子が多いです。千葉って結構大型店も多いので、大型店に入ったものの、独立するためには大型店のノウハウだとなかなか難しい。でも小さいお店だとそもそも募集してなかったりするので、ウチみたいな規模のお店がちょうどいいのかもしれないですね」
現在ベーカリーハイジのスタッフは総勢39名。そのうち社員は14名。「ベーカリ-ハイジ」では、面接時にはその人のどういうところを見ているのでしょうか?
宮下シェフ
「面接だと誰でも自分をよく見せようとするから、本当のところは分からないですよね。最終的には感覚で決めますけど、その人を見極める意味でも、面接ではけっこう喋ります。本当に他愛もないことが多いのですが、その会話のなかで『面白いな、いっしょに働きたいな』と感じられるかどうか。面接の時にちゃんとしてる子が受かるとは限らないです。ちゃんとしすぎてるのも苦手なんで。こっちが怒られちゃうから(笑)
いま働いてくれているスタッフで、4年前に初めて求人に応募してきて、その時は不採用だったんですけど、そのあと2回も応募してきた強者もいますよ。そこまで熱意を見せられちゃさすがに採るしかないでしょ(笑)」
「想像していたのと違う」専門学校と現場とのギャップ
そもそもパン業界で離職率が多い原因は何だと思いますか?
宮下シェフ
「やっぱり『思ってたのと違う』というのが一番多いんじゃないかな。僕も講師として呼ばれて行くことがありますけど、専門学校って設備も整っていてすごく綺麗じゃないですか。そこからいざ現場に入ると、汚いというわけじゃないけど狭くてガチャガチャしている。専門学校ももうちょっと現場感を出した方がいいんじゃないかな。あとは先輩が怖いとか労働時間が長いとか。聞いていた話と違ったっていうのは意外とよく聞きますね。残業代が出る出ないとかね。
学校と現場とのギャップは、職場環境や労働条件だけじゃなくてパン作りそのものに関しても言えると思います。それまでは教えてもらいながら楽しくパンを作っていたのが、じっさいにお店で働き始めるとバタバタと忙しくて、なんていうか『パンを生産する作業』になってくる。もちろんそれが働くということでもあると思うんですけど。そこからさらに自分が成長したり、何かを学びとるかどうかは結局自分次第なんですよね」
「入社したその日から生地にさわらせる」
ハイジの労働条件について教えてください。
宮下シェフ
「労働時間でいうとまず8時間がベースにあって、残業はできるだけしないようにしてます。どんなに忙しくても2時間ぐらい。月平均で20時間行かないくらいだと思います。だからパン屋としてはね、かなりギュッとしてるかなっていう気はします。
もちろん残業すれば、賃金は1.25倍で出るし、ボーナスもちゃんとあるし、利益がでれば決算賞与もあるし、ちゃんとしてるほうじゃないかな。
ただ、お店のやり方は人それぞれで、こだわった製法だったり、いろんなことを徹底してやってると、どうしても8時間では終わらないと思います。掃除ひとつとっても、ウチもちゃんとやりますけど、もっとやっているお店はいっぱいあるし。そういった意味で、『一流になろう』っていう人の労働時間が長かったとしても、それは悪じゃないと思うんです。なのでその人次第ですよね。本人がどうなりたいか」
スタッフの配置について教えてください。
宮下シェフ
「生地に関わるポジションは仕込みと、分割・成形をする面台、そして窯。あとはコッペパンに挟んだり袋に詰めたりといった仕上げるポジションとサンドイッチの5ヶ所あるんですけど、うちはスタッフが多いので、誰がどのポジションでもいけるようにシフトを組んでいます」
新卒で入ったスタッフは最初はどんな作業をするのですか?
宮下シェフ
「社員の場合、ウチは入ったその日から生地を触らせます。お店によっては洗い物とか鉄板ふきから始めて『お店の基本から学ぶ』みたいなところもあるかもしれないけど、生地に触らせない理由が僕には分からないですね。一日でも早くいろんな仕事を覚えてもらってお店の戦力になってもらうほうが絶対いいじゃないですか」
ということは、洗い物などの雑用はスタッフ全員で?
宮下シェフ
「もちろん。僕も全然やりますよ。『掃除は新人の仕事』とはウチでは誰も思ってないです。先輩ほど率先してやりますね。なので、そこは他のお店とちょっと違うかもしれないですね」
ベテランが抜ける時は若手が育つチャンス
スタッフの教育方針についてはいかがでしょうか?
宮下シェフ
「その子次第かな。何をどこまで求めてるか。ウチは独立を目指してやっている子が多いですが、そうでない子もいます。なかには『ミスするのが怖いので仕込みはちょっと』みたいな子もいますけど、そういうのも全然ありだと思います。
お店をやっていくうえで、こちらの都合ってあるじゃないですか。シフトだったりポジション的なものとか。ただ、そこがあっても『これをやりたいです』ってグイグイくる子はやっぱり育つのは速いですね。休みの日に他のお店を見に行ったり、知らないうちに講習会に行ってたりとか。そういう子たちは独立しても安心して見ていられますね」
仕事に慣れたスタッフが独立すると、その後の引継ぎや配置換えなどで苦労しませんか?
宮下シェフ
「成形とかは大人数でやるんで、1人抜けても影響はないですけど、例えば窯(焼成)を覚えるってなると、一時的に生産性が下がってくるのはしょうがないかな。ポジションの配置換えとか引き継ぎのときなんかは自分が入って教えたりしていますね。
基本的にお店は僕がいなくても回る状態になっていて、いつ誰が突然やめちゃっても何とかなる体制ですけど、常にギリギリの人数でやってるところはちょっと大変でしょうね」
宮下シェフ
「でも、誰か独立したりベテランが抜けちゃった時って、新人が育つチャンスなんですよ。上がいるから下が育たないっていう部分もあるので。なので僕は絶対循環した方がいいと思っていて、スタッフがやめていくことに関してネガティブになる必要は全然ないと思います。
むしろ独立して成功したらみんなの目標になるじゃないすか。先輩みたいになりたいとか、『独立したら先輩あんないい車乗ってる』とかね(笑)。そうすると仕事も頑張れる。もっと言えば、ハイジに入ればそうなれるみたいな、そういう風になればいいですよね」
独立を目指すスタッフに寄り添い応援する
宮下シェフ
「あと、ハイジって新商品を作るときにたいていスタッフの誰かに任せるんです。ときにはレシピを共有しないことも結構あって。なぜかというと、レシピを共有した時点で商品が育たなくなるから。『このパンの作り方はこう』ってなっちゃうとアップデートができない。その商品を考えたスタッフに『きみの考えた商品だからどんどん育てていいよ』って任せると、よりよい商品にしようと常にアップデートを考えるんですよ。その子が独立するときにそのままその商品を持っていったら武器になると思うし」
独立を目指すスタッフを、自ら運営するオンラインサロンにも自由に参加できるようにするなど、経営についてのスキルアップの機会も惜しみなく与える宮下シェフ。翌年の独立開業を目指しているスタッフのひとり、斎藤さんに、ハイジと宮下シェフについてコメントをいただきました。
斎藤さん
「ハイジにきて5年目になります。職場の雰囲気がすごくよくて、言いたいことも言い合える環境です。忙しいときは忙しいなりに緊張感はありますけど活気があって良い職場だと思います。宮下シェフには独立のことでもいろいろとサポートしていただいてます。開業に必要な資格について教えてくれたり、他のパン屋さんにもツテがあるのでいろいろ聞いてくれたり。催事の出店にも自分のパンを作って出させてくれたりとか、いろんな面でサポートしてもらっています」
どうしたらスタッフが豊かになれるかを考える
スタッフに寄り添い、自身だけでなくスタッフも幸せになれるお店づくりを進める宮下シェフに、自身のリーダー像について尋ねると、「自分はリーダー型ではなく応援型」という答えが返ってきました。
宮下シェフ
「他のリーダーたちと比べるとちょっと変わってると思います。ほかのシェフたちは自分の背中で引っ張っるっていうカリスマタイプ。僕は特に技術があるわけでもないし、リーダーシップがあるわけでもないんですよね。だから僕に上からものを言われても『お前に言われたくないよ』ってなっちゃう(笑)。
だけど一応社長なので、何とかまとめないといけない。そういう人がチームをまとめるにはどうしたらいいかっていうのは僕なりにずっと勉強してきました。話し方や物の伝え方とかね。自分で言うのもなんですけどそこはけっこう上手だと思いますよ。日頃からスタッフたちとたくさん話しますし、オヤジギャグだけは自信ありますね(笑)。
僕のスタンスとして上下関係をあまりつけないというのもあって、みんな言いたいことバンバン言ってきます。言いにくいことも言いやすいみたいで、ある意味『なめられる』くらいがちょうどいいのかもしれないですね。
僕はグループの先頭を走るというよりも並走する感じ。応援型ですね。独立を目指す子はめっちゃ応援します。いろんな人を紹介するし勉強もさせるし。ウチにいる子たちがどうやったらウチにいながら豊かになれるかを一緒に考えます」
パンだけ作っていてもお店は回らない
チームづくりのお手本のような「ベーカリーハイジ」ですが、最初からうまくいっていたわけではありません。それは宮下シェフが先代からいまのお店を受け継いだ頃。社員が1人もいなくなった時もあったそうです。
宮下シェフ
「両親が元々船橋の方で『ベーカリーハイジ』をやっていて、僕が修行から帰ってくるのと同時にここに移転して一緒に10年やったんです。徐々に売り上げも上がってきたんだけど、おやじとはやり方が違ったから本当に仲が悪くて。それから10年経って両親が元のお店に戻ったんです。『こっちはお前がやりな』という感じで。その時は『よし、じゃあ自分のやり方でやれるから、もっと売り上げが上がるな』と思ってたんですけど、実際は初年度で2割ぐらい落ちたんです。
もちろんパンの品質が落ちた部分もあったかもしれないですけど、駄目だったのはむしろパンじゃない部分。やっぱり天狗になってたっていうか。お店の雰囲気が悪いとお客さんにも伝わっちゃうしね。どんどんスタッフも辞めていきました。
そこからいろんなことを学びはじめたんです。やっぱり失敗を経験すると学びますね。人と付き合い方とか心理学とか、結構勉強しました。あとはセミナーに参加したりカウンセリングを受けたり。『喋らない訓練』とかしましたよ。何か教える前に聞き役に徹して相手の意見を聞くとかね。つい言っちゃうじゃないすか。『こうしろああしろ』って。
お客さんも従業員も人なので、パンだけやってたんじゃ駄目だったんですね。地道なコミュニケーションの積み重ね、そこは両親が得意なところというか、しっかりやってきたことで、そのときに初めて両親ってすごいんだなって思いましたね。今はめちゃめちゃリスペクトしてます」
「ミスを責めない」が基本ルール
お店のチームづくりで大切な人間関係。忙しいとどうしても心に余裕がなくなり、職場もギスギスしがち。先輩やシェフが怖いからという理由で辞める人も少なくないようです。
ハイジでの現場の雰囲気はいかがですか?
宮下シェフ
「スタッフはみんな仲良いと思いますよ。会社のルールとしてまずあるのが『人の悪口は絶対言わない』ということ。特に本人のいないところで言っちゃいけない。言いたいことがあれば本人の前で言って、議論すればいいと思います。
人って向き不向き、得意不得意は絶対あるのでそこを責めちゃいけない。人って自分ができて人ができてないと、つい『なんでできないの』って思っちゃうものなので、それをしない。苦手なところは皆でフォローして、得意なところはリスペクトして褒めあおうというのが僕の考えですかね」
正論で押さえ込まない
とはいえ、緊張感がいる時もあると思いますけどその時は?
宮下シェフ
「仲がいいのと緊張感がないことは全然別物じゃないかな。ウチは仲もいいですけど、みんな緊張感を持ってやってますね。特にお客さんの前での従業員の態度とか、ちょっとした仕草や声のトーンひとつでお客さんを気持ちよくさせることもできるし、その逆もあるので。パンの品質が良くなかったら絶対に言うしね。なんで仕事をしてるかっていうとやっぱり成長したいからなんでね、何となく生活費が欲しいからっていうわけじゃない。うちのスタッフは何かしら目標を持ってやってると思うんで、そこの線引きは出来てるかなと思います。
どうしても注意しなくちゃいけない時には怒るんじゃなくて、『どう思う?』というふうに、相手に聞くようにしてますね。こっちが上から目線で正論を言うと、向こうから言葉が返ってこなくなっちゃう。それってやっぱり良くなくて、お互いキャッチボールができるフィフティフィフティの状態がいいと思います。言われるだけだと忘れちゃったりするけど、自分から言ったことは守るじゃないですか。自分から『じゃあ次こうします、気をつけます』とか、言ってもらえるのがベストですよね」
これからの「ベーカリーハイジ」
宮下シェフ
「みんなが個々に成長していく風土というか、それが当たり前のチームになればいいなと思います。成長を目標とするチーム。個人もそうだし、会社としても。ハイジとしては2店舗目とかも考えてないですね。お店を広げるよりもパンをもっと磨き上げたいですね。
あとは、売り上げもそうだけど、人の育成とかいろんな部分をよくすることで、ハイジを見て影響されてくる人たちが増えればいいなと思ってます。
お店のやり方は人それぞれなんで、急には変えられないと思いますし、うちはうちのスタイルであって、絶対正しいとは言わないけど、ハイジみたいな形にしたいっていう人がいればね、そこに貢献できたらなって思いますね」
取材中も年配のベテランパートさんと気軽に会話を交わしたり、冗談を言ってスタッフを笑顔にしていた宮下シェフ。お店の売り場や厨房は常に活気に満ちていました。年齢やキャリアの差を感じさせないフラットなコミュニケーションが、意見の言い合える風通しの良い空気を生み出し、ひいてはスタッフのモチベーションやパンの品質につながっていると感じました。
お店のあり方はそれぞれですが、お客もスタッフも皆が心地よく過ごせる「ベーカリーハイジ」のようなお店が増えれば、人手不足解消の一助になるのではないでしょうか。
【取材協力】
ベーカリーハイジ
住所:〒270-1432 千葉県白井市冨士137-88
営業時間:9:30~18:00(土・日は8:30オープン)
定休日:月曜日
公式ホームページ:https://heidi-pan.com/
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/heidi_bakery/