飛騨高山にあるパンの名店「トラン・ブルー*」で修業をしたのち、石川県金沢市で2022年6月に「NiCONE (ニコネ)」をオープンさせたばかりの釣海帆(つり みほ)シェフ。オープンから4ヶ月が経ったいまも、名店で修業したシェフが作りだすパンを求めて、連日オープン前から長い列ができています。
*トラン・ブルー:岐阜県飛騨高山にある成瀬正シェフの営むベーカリー。常に行列のできる人気店で、全国から多くの人が訪れる。
NiCONEさんは開業に際しクラウドファンディングを利用されたとのこと。実はこのクラウドファンディング、資金調達という目的のほかに、意外な狙いがあったんです。
取材当日は定休日。仕込み作業をしているところにお邪魔し、開業にいたるまでのストーリーをお聞きしました。
目次
トラン・ブルーでの修業。きっかけは叔父からのひと言
金沢市の中心から離れた、海に程近い国道沿いにある、ウッドテラスと大きな屋根が目印の一軒家のお店。周りには緑が植えられてあり、まるで避暑地の別荘のような開放感のあるお店です。
「こんにちは!」と元気に迎えてくれたのがNiCONEオーナーシェフ、釣海帆さん。お忙しく疲れているはずなのに、それを感じさせない爽やかな笑顔です。「天気がいいので外でお話ししましょうか」と、お店の前のウッドデッキに腰掛けてインタビューがスタート。
海からの風が通り抜けて、とても気持ちのいいウッドデッキ。お店で買ったパンをすぐここで食べたくなります。お店の売れ筋商品はクロワッサンと、トラン・ブルー出身の職人のお店でしか食べることのできない「Tバゲット 」。
―そもそも釣シェフがトランブルーで働くことになったきっかけは?
釣シェフ
「きっかけは、成瀬シェフが出演したNHKの『プロフェッショナル』という番組です。
わたしはとなりの富山県出身なんですけど、2年間通っていた製菓専門学校が金沢で。卒業が間近になって、就職先をどこにしようかと考えている時期に、『プロフェッショナル』を観ていた叔父が、『見に行ったらいいんじゃないか』ってアドバイスをくれたんです。はじめからそこで働こうって決めていたわけではなく、ちょっと見てみようかな、くらいの興味本位で行ってみたんです。
いざお店に行ったら、まず商品がすごくきれいで。味ももちろん美味しいんですけど、わたしがなによりも惹かれたのは、お店がとてもきれいに掃除されていたことなんです。お店の中やキッチンの掃除がとにかく行き届いていました。そういう部分からきれいじゃないといいパン作りってできないんじゃないかっていう想いが私のなかにあって。ほかにも富山や金沢のいろんなパン屋に行きましたけど、トラン・ブルーほどきれいにしている店ってなかったんですよね」
―当時は専門学校生だったんですよね?普通はなかなかそういうところに目が行かないのでは?
釣シェフ
「けっこう綺麗好きなんですよ(笑)
で、『すごいじゃん』って思ったんですよね。金沢に帰ってからあらためて『プロフェッショナル』を観て、『パンってやっぱりすごい、奥が深いな』と思って。わたしが通っていたのは製菓専門学校で、パンの授業は週に一回、2、3時間だけだったんですけど、そこで本格的にパン屋になりたいと思ったんです」
思い出ぶかい金沢の地での開業を決意
―トラン・ブルーで9年間働かれたあと、金沢にお店を構えた釣シェフですが、金沢市は何十軒ものベーカリーがあり、美味しいパン屋さんも多いパン激戦区。なぜ金沢という場所を選ばれたのでしょうか?
釣シェフ
「通っていた専門学校が金沢だったので馴染みがあったのと、さっき話に出てきたわたしの叔父が、肺がんにかかって入院していたのが金沢の病院だったんです。叔父はワイナリーをやろうとしいてたんですけど、醸造所ができる前に亡くなってしまって。いまは父が『俺が成功させてやるぞ』と叔父の想いを継いでやっているんですけど、叔父が入院しているあいだ、わたしは授業が終わってバイトに行く前に毎日病院に寄って話をして、っていうのを繰り返していたんです。
そのときに叔父が『おれのワインと合うバゲットを作ってほしい』と話していて。叔父の最後の望みをかなえるというか、約束を果たす意味でも叔父が最期に過ごした金沢でお店をやるのがいいかなと思って」
トラン・ブルーを前年の8月に卒業し、1月に金沢に引っ越してきて6月にお店をオープンした釣シェフ。ネットで土地や物件を探しつつ、飛騨高山と金沢を往復しながら開業準備をすすめていったそう。
釣シェフ
「金沢に引っ越してきて、商工会議所に相談に行くと、『ちょうどコロナの時期で、お家でパンを食べる人が増えているし、金沢はパン好きが多いからパン屋をやるんだったら一刻も早くやった方がいいよ』と言われて。初めは街なかで、駐車場もない小さなテナントでこぢんまりやろうと考えていたのですが、金沢って車社会なんですよ。だったら、街から少し離れた海側でもいいんじゃないかなって考えていたところに、この物件と出会ったんです。駐車場のないテナントで、駐車場を作ろうと思ったらいろいろと増築減築が必要で。新築で建てても変わんないよっていう金額の見積もりが出たので、じゃあもうこの際建てちゃおうと」
なりたいのは誰からも愛される「町のパン屋さん」
―NiCONEの名前の由来とお店のコンセプトについて教えてください。
釣シェフ
「まずお客さんにパンを買ってもらって、食べた時にニコニコして幸せを味わってほしいっていう『ニコ』と、パン作りはこねるところから始まるので、その『コネ』をかけあわせてできた名前がNiCONEなんです。
お店のコンセプトとしては、とげのないアットホームなお店を作りたいっていう想いがあります。金沢ってパン屋さんだらけで、ネット調べたら30件ぐらいでてくる激戦区なんですけど、競争しようとかではなくて、純粋に町のパン屋さんとして、女性でも男性でも、お年寄りでも子供でも中高校生でも、だれもが気軽に入れるような、ただパンを食べて幸せになってもらえればいいなっていう、そういう想いだけでパンづくりをしています」
―お店のデザインやロゴもとてもオシャレですね。
釣シェフ
「お店で使う色は木とゴールドと淡いブルーの三色だけにして、統一感のあるお店にしました。
トラン・ブルーにいた頃、成瀬シェフに石川県のMAKINONCÎ(マキノンチ)というフレンチレストランに連れて行ってもらったことがあって、その時にオーナーシェフを紹介していただいて、金沢でお店をしたいんだと相談したら『僕と同じ不動産屋さん紹介してあげるよ』とおっしゃってくださって。そこから不動産さん、デザイナーさん、建築士さんとどんどん繋がって、NiCONEチームみたいなものができあがって。基本的にはデザイナーさんや設計士さんにおまかせで、『こういう感じでどう?』みたいな感じでデザインを見せてもらって『ああして欲しい、こうして欲しい』と何度も話し合いを重ねながら決めていきました」
お客様への心遣いから生まれた、大きな屋根とウッドデッキ
釣シェフ
「あと、こだわったのは、ウッドデッキと大きな屋根ですね。この2つは絶対に欲しかったんです。
修業先のトラン・ブルーはものすごい人気店で、お店の前にはいつも行列ができていました。外で多くの方が待たれているのを見ていたので、お店に来てくれたお客さんが待っていて疲れないよう、腰かけることができるようなウッドデッキを作りたかったんです。あと金沢って結構雨の日が多いので、濡れないように屋根も大きく作って。夏の暑い日には日よけにもなりますし。店舗設計をほとんどデザイナーさんにお任せしているなかで、どうしても作りたかったのがこの2つなんです」
―たしかに。行列に並んでいる時に座るところや雨除けがあるととても助かりますね。
釣シェフ
「じつはこのウッドデッキ、クラウドファンディングで作ったんですよ。デザイナーさんが別のお店の案件でクラウドファンディングをしたことがあったので『NiCONEでもやってみる?』という話になったんです」
―クラウドファンディングでは、目標金額100万円をはるかに上回る224万円の支援を受けることに成功したと聞いて驚きました。
「トラン・ブルーという修業先のネームバリューがかなり大きかったと思います。ご近所の方たちに『パン屋をします』とご挨拶に伺った時に、トラン・ブルーのファンだという方が何人もいらっしゃって、『あのトラン・ブルーのパンがここでも食べられるの?』ととても喜んでいただいたんです。あらためてトラン・ブルーの偉大さを知りましたし、そこで9年間働いた自分を誇らしく思えました。
今回のクラウドファンディングは、資金調達の面もありますが、どちらかというとお店を知ってファンになってもらおうというのが目的でした。なので、リターン品は支援者の方々がちゃんと得ができるようなものをと考え、一年間有効のチケットとエコバッグを用意しました。エゴバッグはお店をオープンしたら絶対に作ろうと考えていましたが、意外と作るのにお金かかるので、ちょうどいい機会だと思って作りました。支援者の方限定の先行プレオープンも実施して、たくさんの方々がお店に来てくださって。効果は大きかったと思います」
―クラウドファンディングの活用を迷っている人がいたらオススメできますか。
釣シェフ
「クラウドファンディングは、文章を考えたり写真を撮ったりと、それなりに手間はかかると思います。ただ、オープンしたあともリターン品のエコバッグを持ったお客様がリピートでお店にきてくださるのを見ると、やっぱりうれしいですね。その方々に支援してもらったお陰でお店が建てられたんだなという感謝の気持ちが持てますし、やってみて本当によかったなと思います。
もし目標金額を達成できなくても、やってみて損はないし、すごいいいものなんだよっていうことは伝えたいです」
行列のできる人気店から地域に愛されるパン屋さんへ。NiCONEの目指す場所
クラウドファンディングでのファンづくりが功を奏し、オープンから連日行列ができる人気店となったNiCONEさん。オープンから1か月は警備員をつけて、臨時駐車場も確保しないといけない盛況ぶり。ただ、そこには人気店ゆえの悩みもあるようです。
釣シェフ
「おかげさまで多くのお客様に来ていただいて、本当に感謝しかないんですが、オープン当初はみなさんたくさん買っていかれるので、お昼までに商品がなくなってしまったんです。製造は基本的にひとりでやっているので、作れる商品の数にも限りがあって。お店を一度閉めて14~15時ぐらいに再オープンして、17時前に閉店するという感じでした。
なのでお客様おひとりにつき8点までに購入制限させていただいていたのですが、いまは落ち着いてきて、いくつでもお買い物いただけるようになりました。お昼の時間にクローズすることもなく、パンが売り切れる日もあれば残る日もあり、パンがなくなり次第閉店させていただいている状況です。
それでもやっぱり、一人で作っているとたくさんの商品を並べられないので、そのうち職人を増やそうかなと考えています」
連日の行列で瞬く間に人気店の仲間入りをし、近いうちに店舗拡張、2号店出店かと思いきや、釣シェフは考えるのは、あくまで足元をしっかりと見据えたお店づくりでした。
釣シェフ
「もちろん売り上げがないと借金も返せないし、生活できないというのは正直なところですけど、もっと売り上げが欲しいとか、店を大きくしようとか、そういう気持ちは全くないですね。
人気店と言ってもらえるのは嬉しいですが、いまは新しいお店として話題になっているだけなので、自分では人気店だとは思っていません。ただ、NiCONEのパンを食べて『幸せな一日だった』とSNSで投稿してくださったお客様がいて、そんなお客様をもっともっと増やしていければと思います。お客様のお気に入りの店として長く通っていただけるようになってはじめて人気店といえるので。まだまだこれからですね。
今はただただ楽しくて、忙しくてしんどいよりも、ワクワクと楽しみが勝っている状態です。お客さんがたくさんいらっしゃってくださるので、作業が大変だとは全く思わないですね。ただ今後、お客さんが減ってきた時に、何か違うことをしなければならない時が来ると思うんです。その時がきっと大変だろうなと思います。
まだまだ『町のパン屋さん』になれていないので、みなさんに長く愛されるパン屋さんになることが目標ですね。小さい時から実家の仕事を見てきて、お客さんがあってこそ自分達が生活できるという実感があるので、いまはただ目の前のお客さんにパンを買ってもらって、そのパンを食べて笑顔になってほしいという、それだけの気持ちでパン作りをしています」
取材後記
お店ではトラン・ブルーから受け継いだTバゲットを作り、飛騨高山のフルーツ・オ・レを取り寄せて販売するなど、随所にトラン・ブルー愛、飛騨高山愛があふれる釣シェフ。インタビュー中にも、しばしばトラン・ブルー、成瀬シェフの名前を口にされていました。
パン職人という仕事はとても大変な仕事です。トラン・ブルーという品質にこだわる一流店であれば尚更でしょうし、実際長く続けられずにリタイアしていく同僚もいるなか、釣シェフはじつに9年間勤めあげ、卒業し独立を果たしました。釣シェフの笑顔の下には、厳しいパン職人の現場で長年働き、たしかな品質のパンを作ってきたことへの自信のようなものが支えになっているのかもしれません。
常にパン職人・商売人としての初心を忘れず、どんなに忙しくても笑顔を絶やさず、お店に来てくれるお客様のために誠実にパンと向き合う姿にchefno取材班はすっかりファンになってしまいました。
みなさんも金沢に立ち寄ることがあれば、ぜひNiCONEさんのパンを食べに行ってみてください!
●About Shop
ブーランジェリー NiCONE(ニコネ)
住所:石川県金沢市畝田東2丁目508
営業時間:9:00~18:00(売り切れ次第終了)
定休日:火・水曜日(不定休あり)
TEL:076-204-8273
公式サイト:https://nicone-kanazawa.com/
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/nicone.1/