ARTICLE
2025.06.17

催事出店から行列のできる実店舗へ。―刻(とき)が経っても愛されるお店を目指して― 焼き菓子屋「菓子刻(かしどき)」井上 大平

菓子刻
菓子刻
焼き菓子屋 菓子刻(かしどき)代表
井上 大平さん
1986年 アメリカ ニュージャージー州生まれ、兵庫県姫路市育ち
辻学園調理・製菓専門学校を卒業後、「パティスリー トゥース トゥース」「アディダスジャパン」「アクアイグニス三重」を経て、2024年11月に焼き菓子屋「菓子刻(かしどき)」をオープン。

数あるお菓子の中で最近特に注目されているのが、 おしゃれでかわいらしいクッキー缶や焼き立てのフィナンシェなどの「焼き菓子」です。クリームがたっぷり使われた定番のショートケーキや、つやつやのムースの華やかさとはまた違う、素朴でほっとするイメージの焼き菓子。
約2年間にわたるイベントへの催事出店を経て、2024年11月、地元姫路に焼き菓子専門店「菓子刻(かしどき)」をオープンさせた井上大平さんに、お菓子のことやお店のことについてお話を伺いました。

製菓業界からアパレルへ転身?

井上シェフのお菓子との出会いは、小学生の頃。近所にできたケーキ屋さんへ、定期的に友人とお小遣いを握りしめてケーキを食べに行く、子どもだけの「ケーキ会」を開いていたそう。

井上シェフ
「華やかなショーケースを見て、『なんか美味しそうだな』と純粋な気持ちでケーキに惹かれていました。その頃名前も知らずに食べていたのが、ドイツの定番菓子であるサンドクーヘン(フランクフルタークランツ)でした。今はもうないそのケーキ屋さんは、子供だけで入っていっても優しく声をかけてくれるお店でした。それが今のお店作りやコンセプトにも繋がっているのかなと思います」

その後もお菓子への愛着は止まず、井上さんは高校を卒業し製菓学校に進み、お菓子の道を歩み始めます。神戸の有名店「トゥース トゥース」で5年半勤務した後、全くの異業種であるアパレル業界で3年、接客に従事しました。ずっと好きだったお菓子の世界を離れ、アパレル業界に移ったのは何故なのでしょうか?

菓子刻

▲「トゥース トゥース」時代から大好きだというクロワッサンダマンド。ラム酒に浸して「菓子刻」らしさを加えている

井上シェフ
「『トゥース トゥース』ではセントラルキッチンでお菓子の製造をしていたので、お客様の顔が見えませんでした。単にモノを作って売るのではなく、『自分でおすすめして買っていただく』という感覚を身につけたいと思って、縁あってアパレル業界に入りました。ただ、いつか自分のお店を持ちたいという思いは持ちつづけていたので、お菓子作りの勘は鈍らないようにとスタッフの誕生日ケーキを作ったりしていました。

その時の副店長に『こんなにおいしいケーキを作れるのに、ここにいるのは勿体ない。お菓子作りの道に戻った方がいい』という言葉をもらったことが後押しとなって、再び製菓業界に戻ることにしました。
3年ぶりに厨房という現場に戻って、アパレルとは違ったライブ感に『やっぱりお菓子作りは楽しいな』という感覚がありました」

製菓業界に復帰した際に働いていた三重県の「アクアイグニス」では、経営やコストなど、製造以外のことにも向き合い、次第に「自分の店だったらどうするか」と考えるようになったといいます。それから4年が経ち、井上さんはいよいよ独立という夢を実現させるため、神戸に戻ることを決めました。

井上シェフ
「元々『トゥース トゥース』で働いていたので、漠然と神戸で独立することを考えていたのですが、お菓子屋さんもカフェもすでにたくさんあるこの町で、自分のお店やお菓子のコンセプトをどのように確立していけばいいのか、悩んでいました。そんな時、地元姫路のイベントの存在を知り、主催者の方とお話しする中で私のInstagramを見て『井上さんのお菓子ならこんなのもいいんじゃない?』と、アドバイスしてくださったことやいろんな縁が繋がって、町家に出店するイベントにも声をかけていただきました」

独立に向けて—焼き菓子の面白さを実感

 

菓子刻

▲店のアクセントになっている木工品は、姫路の木工・家具工房「木犀(もくせい)」の作品

イベント出店時は神戸のシェアキッチンを借りてお菓子作りをしていたという井上シェフ。月1,2回を目標に、地元のイベントへの出店を続けて約1年、次第にリピートされるお客さんが増えていきました。「お店はいつできるの?」「楽しみにしています」と声をかけられることが多くなり、いよいよ実店舗開店に向け、イベント出店を控えて本格的に準備を始めます。

井上シェフ
「ここは元々花屋さんが入っていた物件で、姫路市が管轄するリノベーションプロジェクトのひとつでした。同じプロジェクトでお店をされている方から紹介してもらって、駅近で昔から地域の方に知られている場所という点に惹かれてここに決めました。物件探しで大切にしていたことは、自分の目と足で確かめて、納得がいくかどうかということでした」

菓子刻

井上シェフ
「お店を始めるにあたって、焼き菓子とは異なる分野のショコラトリーや、姫路以外のエリアでお店をされているシェフを訪ねて、お話を伺う時間を大切にしました。自分と同じジャンルのお店だけを訪ねるのではなく、なるべく自分にないものを求めて訪ねていました。こちらだけが話を聞くというスタンスではなく、自分の考えや想いも積極的に話すようにしていました。

すでにお店をされている方々に自分の話をするのは勇気のいることですが、自分のコンセプトを人に伝えるとても良い機会になるし、実際に面と向かって話さないと感じられないものがあると思っているからです。アポイント無しで訪問することもしばしばありましたが、お時間を取っていただき話ができたおかげで今でも繋がっている縁がたくさんありますね」

菓子刻

▲(左から)柑橘のタルト、キャロットケーキ、林檎のタルト

パティシエを志し、独立して自分の店をもつという夢を抱いていた頃は、いわゆる「ケーキ屋さん」になることを思い描いていたという井上シェフ。焼き菓子専門店という選択をした背景には、設備投資が比較的抑えられること、生菓子に比べ製造工程が少なく、一人でも生産できるアイテム数を確保しやすいことなどさまざまな理由がありました。

井上シェフ
「生菓子は生地を焼いて、フィリングを冷凍して、ムースを仕込んで組み立てて、仕上げて…と工程が多く、どうしても時間がかかってしまうので、自分一人で作りたい量を作るには時間が足りないと感じました。そんな時に、神戸で焼き菓子専門店をしている先輩のお店に並んでいるお菓子を見て、それまでの茶色一色の焼き菓子のイメージががらっと変わりました。華やかで季節感もあり、単なる焼き菓子ではないところに面白さを感じ、『これなら自分のやりたいお菓子ができるかもしれない』と思いました。

実際にシミュレーションしてみると、イベント出店の時に作っていた15種類+αの品数をひとりで毎日揃えるのは想像以上に大変で、もう一人必要だなと感じました。そこで、『トゥース トゥース』で何度か一緒に働いていた丸岡に声をかけて、製造体制を二人で始めることになりました」

菓子刻

▲製造スタッフの丸岡さんと

「『菓子刻』という名前にしたのは、すぐにお菓子屋さんだと分かっていただけたらいいな、というのがまずひとつ。お子さんも、年配の方も、入ってみようかなと思えるきっかけになるのではないかと思いました。それから、大事な人とともに時間を刻む中で、焼き菓子の美味しい思い出を心に刻んでほしいという想いをこめています。

私が作るお菓子が昔ながらのものだったり、今はやっているものだったり、また、これから生まれるであろう新しいお菓子にも思いをはせて、『刻(とき)』という言葉を使っています。お店の名前に『パティスリー』とつくとケーキ屋さんの要素が強くなってしまいそうなので、漢字を使って、長い名前ではなく自分の想いやコンセプトを伝えるには3文字くらいがいいのかなと」

菓子刻

菓子刻のお菓子作りを通じて伝えたいこと

「菓子刻」のショーケースには、井上さんがパティシエとしての経験を培った「トゥース トゥース」で作っていた、カヌレやファーブルトンといったクラシカルな伝統菓子を主軸に、イギリスの郷土菓子であるヴィクトリアケーキやキャロットケーキ、アメリカ菓子のブラウニーなど多種多様な焼き菓子が並びます。

井上シェフ
「売れる・売れないにかかわらず、美味しいお菓子は長く引き継いでいかなければいけないと考えています。『フランス伝統菓子』にとらわれずに各国の伝統菓子や郷土菓子を再現することが菓子刻のお菓子作りだと思っています。でも、お客様にとっては『伝統菓子』とか『郷土菓子』とか言われてもよく分からないかもしれない。そういった部分は接客する中でどのようなお菓子なのかを分かりやすく伝えるようにしています。

伝統菓子以外のお菓子も、なるべく食べる前から味の想像をしてもらえるように、『菓子刻の檸檬(れもん)』や『ばななのおやつ』など、言葉がなくても伝わるような名づけを意識しています。また、パティスリーでは『サブ』的な存在になりがちな焼き菓子をメインでやっていくにあたって、材料や製法にこだわって、美味しいという感動をしっかりと伝えられるようにとことん追求しました」

▲(写真左から)フランス郷土菓子のファーブルトン、カヌレ、ガトーナンテ

これまで作ってきたお菓子に自分らしさを加えて「菓子刻」のスペシャリテとなったのが「菓子刻の檸檬」。一見ありふれたお菓子をあえて看板商品にする上で大切にしたポイントとは?

井上シェフ
「誰もがどこかで食べたことがあるようなレモンケーキを、お店や作り手が変わって、どのように感動を伝えられるだろうか、と考えました。レモンにこだわることはもちろんですが、アイシングにジンを加えているところも、他とは違うんじゃないかと思います。ジンを使うのは、店作りをするときに訪ねた神戸のショコラトリーのシェフとのお話の中で、どんなふうに使うのがいいか聞いてみたんです。

その時の『ナパージュに加えて香りを出す』という答えが印象に残っていて、ジンって、パティスリーでもあんまり使わないお酒なんですが、試してみようと思ったのが始まりでした。ジンを加えることで、爽やかな余韻が焼き菓子のおいしさをより引き立ててくれるんです自分の感性にこだわらず、他の方の感性を取り入れてみることも、お菓子作りには大切なのかもしれません」

菓子刻

▲看板商品の「菓子刻の檸檬」。アイシングにレモン果汁だけでなくジンを使用している

昨今ではお酒の使用を控えるパティスリーが増えていますが、「菓子刻」ではほとんどのお菓子にお酒を使っているとのこと。お菓子作りにおけるお酒の役割について、井上シェフは次のように話してくれました。

井上シェフ
「私は、お酒はお菓子作りに欠かせない材料の一つだと考えています。香りの要素や、旨味になることもあるし、お菓子の印象を左右する重要な要素ではないでしょうか。

お子さんやお酒が苦手な方がいて、お酒を使ったお菓子が敬遠されることはもちろんあるのですが、プライスカードへの表記に加え、スタッフがしっかりと説明できるようにしています。『これ、どのくらいお酒感あるかな?』『お酒が苦手だけど、食べられるかな?』と聞いてくださった時に、『これは香りづけ程度ですよ』『これは少しお酒感があります』など分かりやすく伝えるよう心掛けています。お客様に私たちの言葉が伝われば購入にも繋がりますし、今のところは一度食べてみて、リピートしていただくことが多いように感じます」

菓子刻

▲アレルゲンに加え、お酒の使用有無についてプライスカードに分かりやすく表記

焼き菓子専門店として、通常ラインナップでの生菓子販売はしないものの、ひなまつりやクリスマスなどのイベントでは、数量限定でケーキを販売したり、予約限定でバースデーケーキを作ったりしている「菓子刻」。「今後もイベントなどで生菓子を作れるタイミングや環境であれば、限定的に販売したい」と井上シェフは話します。

井上シェフ
「お店を持つ前からInstagramではケーキの写真を投稿していたので、問い合わせはもともとたくさんありました。独立する前に、さまざまなお菓子屋のシェフとお話をすることがありました。その中で、『毎日が誰かの誕生日で、それをお菓子屋さんがお祝いしないのはもったいないんじゃないか』という考えを聞いて、自分たちにできる範囲でできることをしていこうと思いました。

実際にやってみると反響も大きかったですし、焼き菓子に限らずお客様にとっての『お菓子屋さん』という役割を果たせていることは良かったと思います。
やはり基本的なコンセプトは『焼き菓子』なので、通常商品ではタルトをベースに、季節のフルーツをのせたりと、その食材を探していく中で『生産者の方とつながる』ということも大切にしています。」

素直な気持ちで、ポジティブに

振り返ってみると、イベント出店に声をかけてもらったのも、物件を見つけたのも、自分の想いを素直に言葉にしたから周りの人々に助けてもらうことができたとしみじみ語る井上シェフ。最後に、「菓子刻」を続けていく上で大切にしていることを教えていただきました。

菓子刻

▲尊敬する愛知県のお菓子屋さんから譲り受けた大切なミキサー。地元の友人と偶然愛知県にいた友人の手を借りて運んだそう

井上シェフ
「難しいことかもしれませんが、自分自身が常に明るくいることが一番大切だと思っています。
私は、ネガティブな気持ちでいると、周りに伝わると思うんです。でもそれは逆もしかりで、ポジティブな気持ちでいることで、周りのスタッフだけでなくお客様にも、自分が作るお菓子にも多分伝わるものなんです。自信をもってやっているお店に、お客様は足を運んでくださると思います。
悩んでいることも、ネガティブじゃなくてポジティブに伝えてみる。自分の芯を持っていればきっと何とかなる、いい方向に向かっていくものなのかなと思います」

菓子刻

【取材協力】
焼き菓子屋 菓子刻
住所:兵庫県姫路市忍町248
営業時間:11:00-17:00(売り切れ次第終了)
定休日:不定休
インスタグラム:https://www.instagram.com/kashidoki_99/

この記事をシェアする
Writer
chefno編集部
エディター兼ライター まる
chefno編集部
エディター兼ライター まる
輸入商社で営業部に所属。好き嫌いが無くなんでもたくさん食べられます。
丁寧な取材と記事作りを目指しています。写真は勉強中。
フランス菓子とウィーン菓子が好きで、特にカルディナールシュニッテンが大好物。
1
ワインとパン
ARTICLE
2023.10.18
飲食店オーナーが考えるパン屋の新しいスタイル。ワインに寄り添うパン屋さん パンとワインとアテの店「mati」 
shiori icon chefno編集部
エディター兼ライター シオリ
2
モンディアル・デュ・パン
ARTICLE
2025.06.13
第5回「ベスト・オブ・モンディアル・デュ・パン」 レポート
chefno編集部
編集長&映像制作 コウヘイ
3
味覚と味蕾
ARTICLE
2023.06.13
教えて!専門家の皆さん!!美味しいものを作るために知っておくべき「味覚」について
chefno編集部
パティシエール兼ひよっこライター ハルミ
4
菓子刻
ARTICLE
2025.06.17
催事出店から行列のできる実店舗へ。―刻(とき)が経っても愛されるお店を目指して― 焼き菓子屋「菓子刻(かしどき)」井上 大平
chefno編集部
エディター兼ライター まる
無料会員を募集しています!
chefno®︎では、会員登録することによって、会員限定のコンテンツを視聴したり、 製パン・製菓のセミナー(無料・有料開催)に参加することができます。 ほかにもいろんな特典を考えております。みなさまの登録をおまちしています!