パティシエ・パン職人の入り口とも言える製菓製パン系専門学校の学生さんは、約8割が女性です。これは筆者が学生だった約30年前から変わっていません。
それなのに、当時いっしょに学んだ友人のなかで、現在も製菓業界で仕事を続けている女性は1人しかいません。厳しい修業期間を知るからこそ、自分自身を納得させてこの現実を受け止めているのと同時に、好きな仕事を続けたくても続けられない女性職人のもどかしさも感じてきました。
なぜ、女性が製菓・製パン業界で働き続けにくいのか?どんな理由で仕事を辞めることが多いのか?理由のひとつにライフステージの変化が挙げられます。結婚後、家事や子育てなどと仕事の両立について悩むことは製菓・製パン業界に限った話ではありませんが、早朝からの勤務や、長時間労働が多いこの業界では、生活の軸が変わっても職人として働き続けるのが難しいのが現状です。
培ってきた技術と知識を活かし、生き生きと働き続ける女性職人たちが増えてほしい。この道を選んだすべての人が、好きな仕事を長く続けることができる業界になってほしい。そして製菓・製パン業界の新人職人さんたちにも安心して夢を抱いてほしい! との思いで続けてきたこの連載企画、今回は業界から離れた時期を経て、再び製菓業界へと戻ってきたパティシエールのお話です。
目次
好きだからこそ、続けていくのが難しい現実
お菓子が好きで菓子職人の道を志し、専門学校を卒業後に19歳で岡山県内のパティスリーに就職。
以前勤めていたパティスリーでの勤務は朝の7時半から仕事が終わるまで。繁忙期には帰りが22時近くになることもあったと語るのは、現在、岡山県倉敷市にある「パティスリー オクサリス」で週に3日間パートタイマーとして働く三児の母、中村香里さんです。2024年4月より販売員として働きはじめ、これまでの経験を活かして菓子製造の補助作業を行うこともあるのだとか。パティシエールとしての経験を活かせる自分に合った働き方に行きつくまでの道のりを伺いました。
専門学校卒業後に就職したお店はどんなお店でしたか。
「よくある町のケーキ屋さんです。私が働いていた当時、職人さんは9人。毎朝、その日に販売するケーキの仕上げを全員で行います。仕上げが終わったら、ムースの仕込みや焼き菓子の製造。お店が忙しくなると、パティシエたちも販売を手伝うことがありました。地元に根付いたお店だったので、クリスマスやひな祭りなどのイベント需要も高いお店でした」
6年間の勤務後、お店を辞めることになった理由は?
「結婚を機に、正社員からパートタイマーに働き方を変えました。仕事内容はそれまでと大きくは変わらず、時間を区切ってパティシエールとして働けることに満足していたのですが、子どもを授かってつわりがひどくなってしまい、結局辞めることにしたんです。今思うと、11~12月という繁忙期に体調不良でお店に迷惑をかけてしまっていることに後ろめたさを感じていたのかもしれません。当時私が働いていたお店では、育休を取ってパティシエールとして職場復帰をされる先輩はいませんでした。何より、現場での仕事内容を十分理解していたからこそ、これまでのように働けないことが辛くなってしまい、辞めるという選択をしました」

▲パティシエの経験があることが、販売員の仕事のベースアップに
現場復帰を後押ししてくれたもの
多くの方が、子育てに慣れてくるにつれ、仕事への復帰を考え始めることでしょう。子育て世代が育児と仕事をどのようにして両立させていくかは、現代社会で大きな課題となっています。中村さんは「オクサリス」で働きはじめるまでは、3人のお子さんを育てながらできる仕事として、家庭でできる内職の仕事などをしていたそうです。
育児をしながらの仕事探しで重要視されたことは何ですか。
「現在夫は会社員ですが、私が長男の子育てに追われていた当時はパン職人でした。育児はほぼワンオペ状態だったので、保育園にあずけられる時間内の勤務ということが絶対条件でした。いくつかケーキ屋さんの面接を受けたことがありますが、『土日は絶対出勤してください』というお店がほとんどでした。残業なし、土日は休みの職場がなかなか思うように見つからなかったので、仕方なく内職をしていたんです」
パティスリーで働きたい気持ちがありながら、「土日勤務」というパティスリーの現実的な壁に直面し、もやもやを抱えていた中村さんですが、そんな彼女の想いに応えてくれたのも、パティスリーの世界でした。
お菓子屋さんで再び働き始めたきっかけは?
「結婚前に勤めていたパティスリーで一緒に働いていた方が「オクサリス」で働いていて、こちらに買い物に来た際、声をかけてもらいました。『仕事を探しているならもう一度一緒に、ここ(オクサリス)で働いてみない?』と言われ、嬉しい気持ちと、ブランクが7年もあるうえに子どもの体調不良などで急に休まなければならないことも想定されるため、難しいかなとあきらめの気持ちが同じくらい湧いたのを覚えています。一度はお断りしたのですが、日が経つうちに、やっぱり外でもう一度働きたいという思いが捨てられず、夫に相談しました」
それはやはり、製菓業界に復帰するには、家族の理解や協力が不可欠ということでしょうか?
「働く環境によると思いますので一概には言えませんが、この業界は季節ごとのイベントと売り上げが密接に関係しています。私の場合、家庭を中心に考えて働くつもりでも、お店が忙しいとサポートしたいという気持ちになることは、事前に想像できました。お菓子を作ることはもちろん、パティスリーで働くことが好きでしたし、母親になって、仕事と同じくらい家族のことが大切なので、悩んでいる気持ちを夫に打ち明けて、どうするか決めたという感じです。パティシエールと結婚される男性は私たちのお菓子に対する思いは理解していると思いますが、子育てとの両立を考えた時には、改めて自分の想いや仕事を始めた時のサポートについて家族で話し合った方がいいと思います」
周りからの温かい言葉が仕事へのモチベーションに
実際に「オクサリス」で働いてみて感じることはどんなことですか?
「週に3日間、平日9時半から15時半で子育てをしながら無理のない範囲で働けること、さらには自分が大好きなケーキにかかわる仕事ができるということが素直に嬉しくてやりがいを感じています。内職で収入を得ていた時よりも働くことへのモチベーションが高くなっているので、勇気を出して家族に相談して本当に良かったと思っています」
仕事をするうえで困ったり悩んだりしていることはありますか?
「当然予想はしていましたが、子どもが小さいので、体調不良で急に休まないといけなかったり、幼稚園からのお迎え要請の連絡があったりすることには、やはり悩まされました。これはお菓子屋さんに限らず、職場復帰されたすべてのお母さんたちの悩みだとは思うのですが、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいです」
私も子どもを育てながら働いているので、その気持ちはとてもよくわかります。どんな風に気持ちを切り替えているのですか?
「本当にありがたいことなんですが、急な休みの連絡をお店にすると、いつもシェフや真弓さん(シェフの奥さま)から、『子どものこと、家庭のことを最優先にしてね』と言っていただけています。私を気遣う温かい言葉をかけてもらえることで、少し心が軽くなります。おかげで、お店や仕事のことを必要以上に気にかけることなく、子どもの看病に専念することができます。さらに、お休みをいただいた後に出勤する時って、みんな少し不安な気持ちを抱えていると思うのですが、『大丈夫だった?無理しないでね』とさらに包み込むような雰囲気で接してくれる真弓さんの存在に本当に救われています。休むときはしっかり子供に寄り添い、勤務できる日は役に立てるように頑張ろうと気持ちを切り替えられるようになりました」

▲自然な笑顔で心地よい中村さんの接客
次のステップと後輩パティシエールたちへのアドバイス
フルタイムでの勤務が難しくても、これまで身に着けてきた専門性を武器にした接客がお店の雰囲気を高めるだけでなく、ケーキの補充や袋詰め作業も的確に効率よく進められることでしょう。パティシエールとしての経験を販売員として活かし、時には製造補助を担う働き方はケーキ屋さんにとってどのような位置づけで、ご本人にとってもどのような魅力があるのでしょうか。
販売員ではなくパティシエールとしての復帰は考えませんでしたか?
「パティシエールの仕事は今でも大好きですが、朝から夜までの勤務は3人の子供を育てながらだと体力的に厳しいのが現実です。ケーキ屋さんという空間が大好きなので、パティシエ-ルとしての経験を活かしながら、今は販売員として、お客様にケーキの魅力を自分の言葉で伝えることができるこの仕事に満足しています。『オクサリス』は日曜日が定休日です。自分は休んでいても、他の同僚が働いていると思うと心苦しいですが、そんな気持ちになる心配がないことも助かっています」
中村さんのこれからの目標をお聞かせください。
「この4月から長男は小学生になりました。小学校に進級すると、子どもが自分でできることは増えるものの、学校は半日だけだったり、学校行事も増えたりとこれまで以上に家事・育児・仕事のバランスをとることが難しくなってくると思います。新生活でこれまでと生活のリズムが変わっても、職場と家庭で笑顔を絶やさず、両立していくことが目標です。そして何より、蔭山オーナー夫妻にしていただいているような気遣いを、今度は私が次の方たちへしてあげたいです」
若いパティシエールのみなさんへのアドバイスをお願いします。
「販売員として働いている自分の考えが皆さんの役に立つかはわかりませんが、過去の自分に何か伝えるとしたら、『若い(いろいろな準備をする時間がある)うちに、とにかく様々な経験を積む努力を!』ということでしょうか。そして私のように子育てで現場を離れる時期があっても、また復帰できるような基盤を作れたらいいと思います。これからの社会は、女性も家庭と両立して働けるように前進していくはずなので、一緒に頑張りましょう」

▲蔭山オーナー夫妻と
取材を終えて
とにかく笑顔が印象的だった中村さんは、パティシエールとしての経験を、販売員として箱詰めやケーキの扱い、お客様への説明などで存分に役立てていました。何よりもこの仕事が好きという想いと、大好きなお菓子に対する姿勢があるからこそ、共に働くスタッフはもちろん、オーナーの蔭山夫妻からの信頼も得られているのでしょう。聞けば、蔭山夫妻には4人のお子さんがいらっしゃるそう。働きながら子育てをされてきた蔭山シェフは、「当日欠勤はお店にとって困るとはいえ、営業できないほどでありません。子育てされている方を雇うということは、そういうものだと理解しています。気持ちよく休んでもらって、働けるときは頑張ってもらうというのが、うちの考えです」と、しびれる想いを語ってくれました。雇われる側と雇う側、双方の姿勢や気遣いが、働くモチベーションや定着率に繋がっている気がしてなりません。好循環が生まれているお店の雰囲気や居心地の良さは、きっとお客様にも伝わるはずですから。
【取材協力】
パティスリー オクサリス
住所:岡山県倉敷市浦田1511-13
営業時間:11:00~18:00
定休日:不定休(HPをご確認ください)
公式ホームページ: https://www.p-oxalis.com/
公式インスタグラム: https://www.instagram.com/p_oxalis/