パティシエ・パン職人の入り口とも言える製菓製パン系専門学校の学生さんは、約8割が女性です。これは筆者が学生だった約30年前から変わっていません。
それなのに、当時いっしょに学んだ友人のなかで、現在も製菓業界で仕事を続けている女性は1人しかいません。厳しい修業期間を知るからこそ、自分自身を納得させてこの現実を受け止めているのと同時に、好きな仕事を続けたくても続けられない女性職人のもどかしさも感じてきました。
なぜ、女性が製菓・製パン業界で働き続けにくいのか?どんな理由で仕事を辞めることが多いのか?理由のひとつにライフステージの変化が挙げられます。結婚後、家事や子育てなどと仕事の両立について悩むことは製菓・製パン業界に限った話ではありませんが、早朝からの勤務や、長時間労働が多いこの業界では、生活の軸が変わっても職人として働き続けるのが難しいのが現状です。
培ってきた技術と知識を活かし、生き生きと働き続ける女性職人たちが増えてほしい。すべての人が、好きな仕事を長く続けることができる業界になってほしい。そして製菓・製パン業界の新人職人さんたちにも安心して夢を抱いてほしい! との思いで続けてきたこの連載企画、今回は二度の産休・育休を経て働き続けるママパティシエールのお話です。
子育てをしながら職人(パティシエール)として働くということ
海と山に囲まれた観光地としても有名な神戸。異人館などの歴史的建造物が点在し、異国情緒あふれる北野エリアでパティシエールとして働く熊本さんは、未就学児2人を育てるママです。産休・育休を2度利用して復職し、大好きなお菓子を作る仕事を続けています。子育てと仕事の両立はどんな職種でも大変ですが、早朝からの勤務で週末も忙しい印象の菓子職人となると、両立は更にハードルが高そうです。まずは熊本さんの日常を伺いました。
パティシエールと子育ての両立とはどんな日々?
私には2歳と4歳になる子どもがいます。実家、義実家共に、子育てのサポートを頼みやすい距離にはないので、会社や同僚の理解と夫と幼稚園の協力を得ながら、日々奮闘しています。子供たちを幼稚園へと送り出すまでに子供たちの世話(出かける準備や食事など)に加えて、なるべく日々の家事も片づけてしまいたいので、自分はまだ出勤前なのに疲れ切ってしまうなんてことも日常茶飯事です。
産休・育休制度はどのように知って利用されたのでしょうか?
私が働く「バリューマネジメントグループ」は、婚礼やレストラン事業を営んでいることから、女性従業員も多い会社です。共に働くプランナーやサービススタッフが育休を取得するケースが身近にあったので、自然と制度の基礎知識も身につき、スムーズに利用することができました。

▲グループ内の結婚式会場のひとつ、築約100年を経た旧クルペ邸。熊本さんは披露宴のデザートを担当
身近に前例があったんですね。実際に制度を活用する際に気をつけたことは?
自分が休む長期間、滞りなく仕事が進むよう業務の引継ぎと分散を計画的に進めました。特に2人目が産まれた時は当時働いていた銀座の施設でパティシエの主軸を務めて現場をまとめていたので、スタッフのシフト作成や労働管理といった菓子作り以外の業務も抱えていました。アフタヌーンティー、レストラン、婚礼、宴会のメニューを考えるのはもちろん、プランナーやサービススタッフ、パートナー企業とのリレーション(仲介役)も担っていたので、どの業務を誰に引き継いでもらうかを入念に考えました。
産休・育休制度を利用する際に会社が働きかけてくれてよかったと感じたことはありますか?
会社側からの産休・育休についてのサポートにすべてに感謝しています。ひとくちに産休といっても、具体的には産前休暇・産後休暇と2つに分かれるので、国への申請に必要な書類や提出のタイミングも異なります。自分でも事前に勉強はしていたものの、それぞれの書類についての説明と提出期限などが記されたシートが会社で用意されていたのにはとても助けられました。
あとは、復職前にオンライン面談がありました。復職後の不安についてのヒアリングだけではなく、今抱えている子育ての悩みや思っていることも相談できる時間でした。人事部の女性との面談後、上司に自分の現状とこれからの想いを取り次いでもらえ、細かな不安が解消できたので、安心して現場復帰を希望することができました。

▲苺のミルフィーユを作る熊本さん
パティシエールとして復職して良かったことは何ですか?
なんといっても、菓子作りが本当に好きなので、毎日仕事が楽しいことです。慌ただしい日々ですが、生き生きと働く姿を子供たちに見せられることが、更なるやりがいに繋がっています。
あと、以前若いパティシエールから結婚・出産後も働き続けることへの不安について相談を受けたことがありました。自分の経験を話すことで誰かの後押しになるという私にとっても素晴らしい経験でした。これからも結婚や出産を機に仕事を続けていくかどうかを悩むパティシエールが出てくると思います。私自身がママパティシエールとして頑張り、社内の女性の離職率を下げることにも繋がったら良いと思っています。
自分自身も楽しくて、会社にも貢献できるのはとてもいいことですね。
労働者の権利として産休・育休制度があるとはいうものの、自分が休む期間中だけでなく妊娠中も、会社や同僚には様々な配慮をしてもらいました。気持ちよく働ける環境に感謝して、自分ができることは精一杯、頑張ろうと思っています。休む側もただ権利を利用して休むのではなく、休んでいる間も会社の一員として役に立とうと意識することで、更なる労働環境整備にも繋がるはずですので、ママパティシエールのロールモデルになれたらと思っています。

▲最終仕上げは、声がけをしながら協力して

▲北野異人館 旧ムーア邸で提供されている苺のミルフィーユ
良い循環を生みだし、育むための職場環境と心配りとは
熊本さんの周りには様々な立場の人が協力して支えあえる理想的な職場環境が整っていました。職場に先輩ママパティシエールがいる環境は、まだまだスタンダードではないのが現実かもしれません。しかし、製菓・製パン業界の専門学校の生徒さんの大半は女性です。産休・育休という国の制度をうまく利用して、女性も仕事を続けやすくなれば、業界にとってもプラスになるのではないでしょうか。
復職する際、実際に苦労したことはどんなことですか?
私の場合、2度目の育休取得後に、銀座からいまの神戸の事業所で復職することになったのですが、希望の保育園に子供が入れずに苦労しました。自治体によって、次年度の保育園や幼稚園の入園希望書類の提出期限も様々です。入園希望時期にスムーズに入れない可能性も考慮して、職場とのやり取りを進めないといけない上に、2人の育児をしながらの引っ越しは想像以上に大変でした。
保育園に入れないと復職はむずかしいですね。
地域によっては保育園が少なかったりもしますし、それぞれの保育園によって保育時間や延長の対応時間も異なったりするので、自分の業務時間に子どもたちを預かってもらえる園を見つけるのは簡単ではないかもしれません。うちは保育園に入れなかったのですが、土曜日も通えて保育延長時間にも余裕がある幼稚園を見つけることができました。職場に現状とやる気をその都度相談することで、勤務時間などを調整してもらえることもあると思うので、ひとりで抱え込まずに打ち明けてみることも大切だと思います。
復職後はスムーズに業務になじめましたか?
パティシエールとしての仕事はブランクがあったとはいえ身体にしみついているので、何とかなりましたが、自分が休んでいる間に導入された会社の新しいシステムやルールへの順応に手を焼きました。うちの会社には、休職中でも従業員がそれぞれの事業所でのイベントや社内ルールなどを確認できる社内ネットワークアプリが用意されています。子育てで目まぐるしい日々を過ごしていたので、じっくり確認する余裕はなかったのですが、休職中でも日々の社内情報を得られる手段があることにはとても助けられました。

▲事前に用意したメモを見ながら、丁寧に説明していただきました
他に助けられていると感じる御社ならではの取り組みはありますか
私が勤務している事業所の定休日が火曜日なのですが、。私の場合、幼稚園が休みの日曜・祝日は必ず休ませてもらっているのです、祝日が多い月には出勤日数がなかなか確保できません。そんな時は、火曜日も営業している別の事業所でお菓子の仕込みなどをさせてもらっています。従業員ひとりひとりに寄り添った取り組みを柔軟に行ってくれる会社の姿勢は、働きやすさに繋がっていると思います。
パティシエールとして勤務するうえでご自身が心がけていることは?
働きやすい環境を提供してもらっている側として、自分以外のみんなも働きやすくなるような寄り添った声掛けを意識しています。それと自分が急に休まないといけなくなった時、ほかのスタッフに仕事量以外の負荷がかからないような管理を意識しています。急な欠勤時は欠勤者の予定業務を追加で行うので出勤しているスタッフにとっては単純に仕事量が増えます。それが自分しか把握していない業務だと、その業務がどんな内容で、どのように取り組まないといけないかを確認する時間までも増えてしまいます。日頃から必要な業務をスタッフみんなで共有することで個人でしかわからないような業務を減らすことはチームの働きやすさに直結します。材料発注、仕込み計画、新レシピ開発の進捗なども共有することが大事だと思っています。
後輩パティシエール達へのアドバイス
仕事と子育てを両立させるためのヒントをお願いします。
なんといっても、子育ては手助けが必要になるものだと割り切ることです。夫はもちろん、頼れるなら両親の協力も引き出せるといいですね。頼れる場所を増やす努力が必要かもしれません。また、必要以上に申し訳ないと思わないことも大事だと思います。悩みは抱え込まずに周囲に相談することで、解決方法も出てくるはずです。人生や子育ての先輩を頼ってみると、案外身近にたくさん手を差し伸べてくれる人がいることに気付けると思いますよ。
心の持ち方は大事なんですね。
自分がやっている仕事を自分だけのものだと思いすぎると、休んだ時に申し訳ないという気持ちが強くなってしまいます。職人である以上、自分の技術・知識・味覚などは言語化しづらい部分もありますが、視野を広げてお店を利用してくださるお客様のため、一緒に働くスタッフのため、会社のために自分だけしかできない仕事を作らないようにすることがバランスの良いチーム作りにも繋がると思って実践しています。
取材を終えて
企業が人材の確保に頭を悩ませている昨今、製菓・製パン業界でも同様の現象が起こっているのではないでしょうか。さまざまな属性の人々が共存して働ける会社の制度や風土を築いていくことで、すべての人々が平等に機会を持ち、貢献できる環境に近づけると感じました。熊本さんは同僚に言われて救われた言葉を打ち明けてくれました。「お互い様だよね」、言われて嬉しかった言葉を自分自身も常に持ち続け、「私がいるから安心して育休を取ってね」と今度は自分が言いたいと笑顔で話してくれたのが印象的でした。
【取材協力】
北野異人館 旧ムーア邸
住所:兵庫県神戸市中央区北野町2丁目9-3
営業時間:11:00~17:00
定休日:火曜日(HPをご確認ください)
公式ホームページ:https://www.kitanomoore.com/cafe/
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/moore_cafe?igsh=am52ZTRueTYydGQ5