SNSの発達や真新しいものを求めるメディアによって目まぐるしく変わる流行り廃りのなかで、長年受け継がれ、作り手が変わっても変わらず愛され続けているお菓子が京都にある。
「ナンポルトクワ(N’importe quoi)」のりんごのタルト。
京都の名店「オ・グルニエ・ドール」のオーナーシェフ西原金蔵氏がアラン・シャペル氏*から継承し、そして西原氏の息子である裕勝さんと妻の杏菜さんに受け継がれ、いまも大切に作られている。
【アラン・シャペル】
「料理界のダ・ヴィンチ」と呼ばれたフレンチを代表する料理人。36歳の時に史上最年少でミシュランの三ツ星を獲得した。
人々の心に残り続ける「りんごのタルト」
裕勝さんは「オ・グルニエ・ドール」を父である金蔵氏から継ぐことを選ばず、新しく自身のお店「ナンポルトクワ」をオープンし、独自の世界観を表現している。そのなかでりんごのタルトだけは受け継ぎ、味を守り続けているのはなぜなのか。
父と私のどちらが言い出したわけでもないんですけど、オ・グルニエ・ドールが閉店する時に、『りんごのタルトがなくなってしまうのは残念』という声をお客さまから多くいただいて。
こんなに愛されているお菓子をなくしてしまうのはもったいないと思って、ナンポルトクワでもやろうと決めたんです。
お店が変わったことで『味が変わった』とか、いろいろ言われるかなと心配だったんですけど、実際に始めてみるとすごく喜んでもらえて。
ツイッター(現:X)で、とある女性のお客さまが、小さい頃に京都のお祖父さんの家に遊びにいくと(オ・グルニエ・ドールの)、りんごのタルトをよく買ってもらっていたらしくて。そのお祖父さんが亡くなられてからしばらくして、『おじいちゃんとの思い出のタルトが、ここ(ナンポルトクワ)にあった』みたいな書き込みをされていて、とても嬉しかったですね。
たくさんの人にとって思い出深いお菓子なんですね
僕にとっても思い入れの強いお菓子ですね。高校を卒業する頃、名古屋の百貨店の催事で、オ・グルニエ・ドールのりんごのタルトを実演販売するという機会があって。
それまでアルバイトで焼き菓子を詰める作業くらいはしていたんですけど、実際お菓子を作るというのはそのときが初めてで。父に教えてもらいながら、4日間で100台くらい、必死で手伝いをしました。
催事にはたくさんのお客さまが来てくれて、初日に来てくれたお客さまが『美味しかったから』とまた買いに来てくれたり。自分の作ったものを喜んでもらえる、そういった反応がすごく嬉しかったですね。パティシエになった今の僕の原体験です。
ナンポルトクワを裕勝さんと共に営む妻の杏菜さんも、りんごのタルトに魅せられたひとり。就職先を探していた製菓専門学校生の2年生だった時に、このりんごのタルトに出会ったという。
京都に行く機会があって、専門学校の先生が『絶対に行くべき』とおすすめしていたのがオ・グルニエ・ドールでした。りんごのタルトを食べてみたら本当に美味しくて。なんて言ったらいいんだろう、なにも付け加えるところがなくて、完成されているっていうか。素朴で美味しいんです。本当に素朴っていう言葉がいちばんぴったり。また食べたくなるような味で。絶対にここで働きたいと思ったんです。
こうして杏菜さんは勤め先となったオ・グルニエ・ドールで裕勝さんと出会い、ともにナンポルトクワを立ち上げ、りんごのタルトとの付き合いはさらに永く続くことになる。
「りんごのタルト」の製造工程
杏菜さんが「まずは食べてみてください。そのほうがお話もしやすいと思うので」と、りんごのタルトを用意してくれた。
りんごのタルトという、どこにでもあるシンプルなお菓子が、食べた瞬間「これ以上のものはない」と直感的に思えるような美味しさだった。杏菜さんの言うとおり「完成された美味しさ」という言葉がぴたりと当てはまる。
ベーシックなお菓子であるがゆえにごまかしの効かない、本当に美味しいお菓子だ。
長い間、多くの人たちに愛され続けているのもうなずける。
早速、この完成されたタルトの、作り方について尋ねてみた。
りんごのタルトの作り方について聞かせてください。
材料はすごくシンプルです。パータブリゼとりんご、グラニュー糖、バター、生クリームで仕上げます。
シンプルなだけに、素材の美味しさというのはやはり重要だと思います。うちでは9月頃から5月頃の、りんごが美味しい季節にだけ作っています。父から学んだことのひとつに「ないものねだりをしない」ということがあります。人気商品だからといって一年中無理に作ることはしないです。
りんごの品種もひとつではなくて、その時期にいちばん美味しいものを使っています。9月頃からはじめて最初は『津軽』で、10月になると『紅玉』、12月ぐらいになると『サンふじ』といった感じで、季節によって異なるりんごを使うので、それぞれ違った味わいがあります。食べ比べができるのでお客様にも楽しんでいただいています。
りんごは皮つきのまま使っています。
ちなみにうちではりんごの芯も捨てずに使います。水で煮出すと結構香りが出るんですよ、紅玉なんか特に。それをナパージュと合わせてりんごのタルトの艶出しに使うので、全部捨てることなく使っています。
特徴のひとつと言えるのが生クリームだ。薄切りにしたりんごを生クリームに3分の2ほど浸してから、らせん状に並べていく。この生クリームが、オーブンの中で焼かれた時にグラニュー糖やバターと相まった極上のソースとなって生地に染み込んでいく。
りんごを並べる向きにも気をつかうという。りんごは球体なので、スライスするとわずかながら端の皮の部分が斜めになる。火があたりやすいように皮目を下向きにして並べていくのだそう。
りんごがきれいにスライスしてあるということも結構重要で、見た目はもちろんですけど、作業効率という面でもスピード感というか、いい感じに丸じゃないと、並べづらいんです。穴が中心にあいているものとそうでないものがあるので、これまでの経験から微調整を加えて作るのですが、すべての条件が揃った時には気持ちがいいです。特にいま使っているマンドリン(スライサー)は、りんごのタルト作りには欠かせない道具で、ないと困りますね。
このタルトは高温で1時間ぐらい火を入れますが、グラニュー糖とバターが溶けて、生クリーム、りんごのジュ(果汁)がぐつぐつと沸騰して、徐々に生地に染み込んでいきます。そのことでタルトに一体感が生まれます。
「オーブンの中で熱が味をつくる」
このりんごのタルトはどうやって生まれたんですか?
元を正せば『アラン・シャペル』で、ワゴンデセールのひとつとして出されていたものらしいです。父が(アラン・シャペルに)いたのは87年とか88年ぐらいなので、その頃から数えるともう40年ちかく前になりますね。
その当時、日本でタルトというのは、翌日には生地が湿気ちゃうので、その日に売れ残ったら廃棄していたんです。だから日本では作っているところは少なかった。から焼きをしたタルトの内側に、コーティングのチョコレートを塗って湿気ないようにしているところもありました。
そういうこともあって、フランスに行って、アラン・シャペル氏のレストランで初めて見たときは衝撃でしたね。
まずりんごを生クリームにくぐらせるなんてことは、私の知る限りではなかった。通常よくあるのはタルト・フィーヌ(Tarte fine)という、薄切りしたりんごを並べて、グラニュー糖をかけてバターを置いて焼くだけのものですけど、それを生クリームの中にくぐらせるっていうことに驚きました。へえ、すごい作り方するもんだなって。
食べてみたら、こんな美味しいタルトを食べたことがない、それくらい衝撃で。
生地はサクッとしているところと、クレームダマンドが入っているわけでもないのにクリーム的な部分があって、後からりんごの香りと甘味がグーッと押し寄せてくる。独特の味わいとテクスチャーが素晴らしかった。それ以来、私にとってはそれがりんごのタルトのスタンダードになりました。
シャペルさんは、折に触れてこのりんごのタルトの美味しさとか、いろんな話をたくさんしてくれました。そのときに、「オーブンの中で、熱が味を作るんだ」みたいな表現をされていた。
もちろん我々が技術を尽くして作ることの美味しさもあるけれども、オーブンの中で時間をかけてゆっくりグツグツと火が入っていきながら、沸騰し、表面のグラニュー糖とバターでりんごの表面がキャラメリゼされて、中ではりんごの果汁 がゆっくりと生地のなかに浸透していく。時間をかけて生地の中に水分が浸透していくことで、生地の底にははちゃんと火が入り、サックリとなる丁度いい熱加減なんです。
進化し続けるベーシックの形
りんごのタルトを引き継がれるっていうことに対してはどう思われましたか?
まず私自身が衝撃を受けて、美味しいと思ってずっと手がけてきたものを、彼が同じように感じ取ってくれて、作り続けてくれるというのは頼もしいですし、私がとっても嬉しいなと思うのは、私が作ってきたやり方を、彼ら2人は自分たちでより進化させていっているところです。
薄切りのりんごを生クリームにくぐらせて、というエッセンシャルな部分はもちろんそのまま守っています。2人だけで作っていますから、作業時間など少しでも早く、良くなるように、日々思案しながら工夫して実践しています。
あと、うちは急速冷凍したものを地方発送しています。冷凍することによって2週間ぐらいの賞味期限になるんですけど、召し上がる際に解凍してもらうことで、美味しさが加わることを新たに発見しました。冷凍したものを解凍する際は、離水しますよね。本来、ケーキなどに含まれている水分が外に離水するというのはよくないんですけど、このタルトの場合は、りんごから出た水分のジューシーさがお菓子にプラスされている気がします。
茶道とか華道といった日本の伝統文化には“家元”と呼ばれる方がいて、その人から学び、その枠からはみ出ることなくいかに深く、そこに入っていけるかが、いわゆる『道を究める』ということなんだろうけど、料理や菓子においても、伝統的というか、『昔のいいものを一切変えていません』と言って、ずっと守り伝えていくスタイルを悪いというわけではないんだけれども、私としては、基本はもちろん大切にしながらも、いろいろ考えて、とにかくそこから出ることが大事だと思っています。
師であるシャペルさんも、プロセスが『こうでなきゃいけない』と押し付けることではなく、幅を持って見てくれて、結果が好ましいものであれば、その途中の過程が若干変わったとしても受け入れてくれる。非常に柔軟な感性の持ち主でした。
当時、世界中でいろいろなものを食べて、シャペルさんがそれをデセールにしようと考える時も、シャペルさんからものすごく意見を聞かれました。『キンゾーはどう思う?』って。
いまのりんごのタルトは、決してクオリティが下がっているとは思わない。クオリティを守りながら、冷凍管理といった効率的な技術をうまく取り入れて、新たに自分たちで作りあげていったというのは、とっても良いことだと思います。
食の達人たちが繋いできた情熱が生み出した、ベーシックの究極ともいえるりんごのタルト。それはいまも、ただ守られるだけでなく、誠実な職人たちの工夫と努力によってその姿を変えながらも進化していく、流行り廃りに左右されない本質的な美味しさが、多くの人たちに永く愛され続けている理由なのだろう。
最後に裕勝さんがこんなことを言ったのが印象的だった。
「長くあるお菓子って、それを食べるお客様の思い出も守っているんです。人っていろんなことを忘れるけど、食べ物の記憶、美味しかったものの記憶ってずっと残っているものなんですよね。」
●取材協力
PÂTISSERIE N’IMPORTE QUOI (パティスリー ナンポルトクワ))
住所:京都府京都市中京区堺町通錦小路上る菊屋町527-1
TEL:075-708-3742
営業時間:11:00~16:00
定休日:日・月・火曜日(ほか不定休あり)
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