フランス、アンジェの街にある一軒のベーカリー。清らかな空気が流れる店内のテーブルには、美しい焼き色のいろんなパンやお菓子が整然と並びます。
フランス在住のパン職人、成澤芽衣さんが師匠リシャール・リュアン氏から「ブーランジュリー・コルネイユ」を譲り受けたのは2023年。フランスで自分の店を持つという夢を実現させてからちょうど3年が経ちました。
以前chefnoにもご寄稿くださった成澤さんの現在を、編集部フランス記者がご紹介します。
目次
地元民に愛される、地域に根差したお店

▲平日朝の様子
間断なく訪れるお客さんが、バゲットやヴィエノワズリーなどお気に入りのパンを買っていきます。取材時には、待ちきれずお店のすぐ前に置かれたベンチでクロワッサンを食べる姿も見られました。
「ブーランジュリー・コルネイユ」のオーナーシェフ、成澤さんは、黙々と素早い動作で次から次へ生地を成形してオーブンに入れる作業を繰り返していました。2017年、フランス全国バゲットコンクールで優勝した成澤さんは、かつてはカヌーポロという競技の日本代表選手だったそうですが、まさに水流を漕いで進むような俊敏な動き。ご主人と2名の製造スタッフも黙々とその流れに合わせて作業を続けます。
列に並ぶお客さんたちも、その清々しい調和のとれた空気感を見守りながら順番を待っていました。

▲店頭に置かれたベンチで朝のクロワッサンを食べるお客さん達
お店を継承して3年

▲パン生地にクープを入れる成澤さん
お店のオーナーとなってから3年が経ちましたが、いかがですか?
成澤さん
「当初は、忙しくてなかなか自分の時間を持つことができませんでしたが、いまはかなり落ち着いてきました。小売店経営者として横のつながりも広がりましたし、生活の基盤も安定してきました。
日本でパン職人を始めてから通算22年、フランスにきて10年、アンジェで働き始めて7年、周囲に助けられてここまで来ることができ、また、自分の店を持ちたいという夢をこうして実現できたことは素直に嬉しいです」
お店を継ぐ前と継いだあとで変わったことはありますか?
成澤さん
「従業員だった時と明らかに違うことは、オーナーシェフとして、自分の判断、決断が全てとなることです。スタッフ、お客様に対しても責任ある立場となり、フランス社会の中で、フランス人と対等に渡り合いたいといつも感じています。そのためにも、時間はなかなかとれないのですが、フランス語をもっと勉強したいです」
現在、お店のスタッフ構成は成澤さんをふくめ旦那さんとフランス人スタッフ4名の6人チーム。スタッフはいずれも、「アルティザナルな本格的なパンを作りたいから」とやってきた意欲の高いパン職人です。

▲ともにお店を支える夫の友樹さん
成澤さん
「フランスの就業規則通り週35時間、しっかり働いてくれています。もちろん終わらない部分もありますが、そこは私がフォローして完結します。スタッフが喜びを持ってここで働き続けてもらえるような環境作りも意識しています」
師匠から受け継いだミニマリストのコンセプト

リュアン氏から継承したことについてお聞かせください。
成澤さん
「お店を継がせていただけたことにはとても感謝しています。当時、リシャールからは『メイの好きなように変えて良いよ』と言われましたが、私はこの店で働かせていただいていたし、師匠が作った土台を変えられるわけがないですよね。月日が経ち、人づてに『メイが店のコンセプトを継承することを選び、それで成功していて嬉しい』という師匠の言葉を聞くと、自分がやってきたことが認められたと実感でき、本当に嬉しくなりました。
継承しているコンセプトは『ミニマリスト』です。たとえば設備面では、フランスのパン屋では大抵使用するバゲット成型機やスライサーはなく、冷凍庫は1台のみです。そのため、光熱費や材料費の高騰の中でも、コストに関してはそれほど影響を受けていません。最低限の機材で運営することで、電気代は、多くの店が中規模料金契約なのに対して、うちは小規模家庭向け規制料金で賄えています。

▲バゲットが1.10ユーロととても良心的
師匠リシャール・リュアン氏のコメント

▲恩師であり国家最優秀職人(M.O.F.)のリシャール・リュアン氏
リュアン氏
「メイは自分のところで4年程、とてもよく働いてくれました。今も時々、パンづくりのことなどで質問があったり、良好な関係が続いています。『コルネイユ』を継承し、こうして成功してくれていて心から嬉しく思います。
2年前から彼女と日本の百貨店からオファーがあり、師匠と弟子とのコラボという形で、フランス展のイベントに2度参加させていただきましたが、それは私にとって素晴らしい贈り物でした。会場では、日本の方々との素敵な出会いがたくさんあり、かけがえのない思い出となっています」
伝承のレシピとオリジナルレシピ

▲お店にならぶのは以前と変わらぬパン・オ・ルヴァンやブリオッシュのほか、メロンパンなどの新アイテムも
成澤さん
「師匠伝承のレシピは、マドレーヌ、カヌレ、パン・オ・ルヴァン、アンジェ伝統のパテ・オ・プリュンヌ(8月中旬から9月中旬約1ヶ月間の季節もの)などのアイテムです。
自分が新たに加えたラインナップは、ブリオッシュ生地で作るメロンパン、ニューヨーク風バナナケーキ、キャロットケーキなど。特にスコーンは、30代~50代の女性に意外なほどの人気で、正午には完売してしまいます。バターの価格が高くなって、一部アイテムの値上げはしましたが、子供達も買いに来るベーシックなバゲット、シューケット、マドレーヌなどはそのままです」

▲焼き上がったスコーンをオーブンから出すところ
バゲットの材料と製法について

成澤さん
「小麦粉は、リシャールが経営者の時から変わらず、アンジェ近郊のメーカー3社から購入しています。小麦も生きた自然の産物。粉の挽き具合も毎回異なり、粉に与える水の量、温度、発酵具合によって生地の表情は毎回異なるので、その違いを見極めるのは経験と感覚による手仕事です。
水は冷水機を通したフランスの硬水を使用しています。水温については、それぞれのシェフにより考え方は100通りあると思いますが、私はだいたい5-7℃で仕込みをします。
土地の小麦には同じ地域の水、塩が合っていると思うので、塩はブルターニュ地方のゲランド産を使っています」

成澤さん
「自分の技量、混ぜ方、生地の発酵を待つ時間、成形の力の入れ方…いろんな要素が混ざりあって、最終的に窯から出てきたものが綺麗だと嬉しいんです。周囲にわからなくても、自分なりの達成感があり、それがさらにお客様に喜んでいただける…そのために頑張る。毎日その繰り返しです」
メニューは季節のものを生かして

▲季節限定のイースター・ブリオッシュ
成澤さん
「フルーツは、冷凍ではなく、季節の新鮮なものを使います。たとえばりんごは、近郊の有機農家が、毎回規格外のものを木箱に入れて持ってきてくれます。野菜も業者向け市場で新鮮なものを購入し、地元活性化にも貢献し、エコの理念にかなうよう配慮しています。
定番のサンドイッチしかないパン屋が多いですが、自分らしさを反映して2か月に一度くらい定期的に新しいレシピを提案しています。
今出している、生ハム/クルミ/カラメリゼしたりんごのサンドイッチは人気商品の一つです。
5月はアスパラガス・サンド、7月のアプリコットの季節には、タルトと並行して、シェーヴル(ヤギのチーズ)やグリーンピースのフムスと合わせたサンドイッチも好評です」

▲ランチタイムに来店のお客さんを待つサンドイッチ各種
お昼時になると、朝はパン生地の作業台として活躍していたテーブルいっぱいに、美しい焼き色のバゲットのサンドイッチが並べられて、ランチタイムに来るお客さんを待っていました。美しいバゲットの焼き色を引き立てる美味しそうな数種類のどれにするか迷ってしまいそうです。
お客様の声

お客様①
「リュアンさんの時から行きつけの店で、家族で食べるバゲットやパンを毎週買いに来ます。
リュアンさんから信頼を受けた弟子のメイさんが継承していることを街の人々はごく自然に受け止めていますし、このお店のパンは師匠時代から変わらず、とにかく最高に美味しいです。それに胃にやさしく消化にいいんですよ」
お客様②
「昔からこのお店の常連です。どれもこれも消化によく美味しく、特に家族のお気に入りは、リシャールの時から変わらないパン・オ・ルヴァン。売り切れてしまっていることも多いので、『よく焼けたパン・オ・ルヴァン4個』と電話予約しておくんです。
平日は、家からすぐのアトリエ レタンデュエール(Atelier Létanduère)という店でもよく買います。そこも彼の弟子の一人のカオリ(大西かおり)さんの美味しいパン屋ですが、メイさんが今のお店を継承される前、その店の奥でバゲットを一生懸命作っていたのもよく覚えてます。
アンジェにはこうして、伝統的で本格的なパンを、国境を越えて日本の方々が継承し、私たちに提供し続けてくれています。家族皆、日本のファンでもあるので感慨深く、また心から光栄に思ってます」
「ブーランジュリー・コルネイユ」のこれから

成澤さん
「フランスでは、ニース、アルザス、パリ、アンジェに住みましたが、自分にとってはアンジェが最もしっくりくる街です。最初の年は、大西かおりさんのお店とリシャールのお店で半々、その後リシャールのもとで働き、開業。振り返ると、とても凝縮された7年間でした。少しずつ地に足がつきました。自分の生まれた横浜に続き、アンジェは、私の第二の故郷になっています。
大半のお客さんは、生まれた時からパンの中で育ってきた街の人々…。その人達から、『美味しい』『ここが自分の行きつけの店』というコメントを聞くと、本当に有り難く、鳥肌が立つほど嬉しいんです。
パン職人として、綺麗で美味しいパンを毎日作ってお客様に喜んでもらいたいし、従業員も喜びを持ってこの店で働いてもらいたいです。10年後、50歳になったら働き方が多少変わるかもしれませんが、敬愛する師匠のミニマリストのコンセプトは継承して、小規模のまま継続し、オーナーとして凛としていたい、と常に思います」
取材を終えて
パンを通じて、国境を超えた「ひと」から「ひと」への伝承。新たな土地で、ひたむきにもの作りを続け、絆を育み、地域に根を張った成澤さん。
フランスは、かねてより外国の文化人やアルティザンを受け入れてきた歴史と土壌があるとはいえ、成澤さんご自身もお話しされていたように、「行きつけのパン屋はメイの店」と、フランス人の日常に根差しているのが肌で感じられ、感慨深く思いました。
向上心の尽きない成澤さんは、「すべてのお客様にご納得いただける、美味しいパンを目指し、常に誠実であり続け、真の実力を目指したい」と謙虚に静かに語りながら、情熱と決意を見せてくれました。
【取材協力】

Boulangerie Corneille(ブーランジュリー・コルネイユ)
住所:14 Rue Corneille, 49100 Angers, フランス
営業時間:7:30~19:00
定休日:日・月
インスタグラム:https://www.instagram.com/boulangeriecorneille/?hl=ja
ベーカリーパートナー編集部