パティシエ・パン職人の道への入り口とも言える製菓製パン系専門学校の学生さんは、約8割が女性です。これは筆者が学生だった20数年前から変わっていません。
それなのに、当時いっしょにお菓子を学んだ友人のなかで、現在も製菓業界で仕事を続けている女性は1人しかいません。
時代が令和になった今、製菓・製パン業界の労働環境もいくらか改善され、女性職人が生き生きと働ける場所になったのではと、期待をこめて現状を調べてみると、予想に反した答えが見つかりました。
なんと、就職してから半年後に行う離職調査(※出典元 辻調グループキャリアセンター調べ)によると、2021年度の女性の卒業生のうち、19.2%が仕事を辞めてしまっていたのです。
なぜ、女性が製菓・製パン業界で働き続けにくいのか?どんな理由で仕事を辞めることが多いのか?理由は様々でしょうが、そんななかでも技術と知識を活かし、生き生きと働き続ける女性職人たちがいます。彼女たちへの取材を通し、好きな仕事を長く続けていくためのヒントを見つけ出して欲しい。そして新人の職人さんたちが勇気をもって夢を抱けますように!
女性の思考を知ることは、男性職人やオーナーさんにとっても良い機会のはず。貴重な人材である女性職人への接し方のヒントが、見つかるかもしれません。
東京都江東区、清澄白河駅から徒歩約12分にある、2022年4月にオープンした‟FruOats Factory(フルオーツファクトリー)”。江戸時代から物流の拠点として栄えたこの地域では、墨田川などの美しい水辺の景色を楽しめるだけでなく、清澄庭園や木場公園の豊かな自然を通して四季の変化を感じられます。アートの街としても、またカフェ激戦区としても注目を集めるこのエリアで、 グルテンフリークッキーやヴィーガンチョコレートの製造販売されているフルオーツファクトリー。シリーズ8回目は同店ショップマネージャーの中山理絵さんをご紹介します。現在パティシエール歴18年の中山さんは、国際製菓コンクール「モンディアル・デ・ザール・シュクレ*」で2010年に世界一に輝かれた経歴の持ち主。パティスリーでの修業期間を経て現職に至った経緯や、仕事と家庭との両立についてお伺いしました。(取材日2023年3月27日)
※2008年よりフランスで行われている国別対抗の国際製菓コンクール。パティシエール(女性パティシエ)に対する評価を高めることを目的のひとつとしているため、製菓コンクールの参加条件としてはめずらしい男女混合チームでの参加が義務付けられた大会。
転機となったコンクールへの出場
製菓製パン業界の国際コンクールにおける近年の日本代表選手の活躍は、素晴らしいの一言に尽きます。コンクールはいつもと違う環境の中で、自分自身の持つ技術を最大限に発揮することが求められますが、作品の見た目はもちろん、味覚においても世界の審査員相手に評価を得なければ好成績をおさめることはできません。そんな国際コンクールのひとつ、「モンディアル・デ・ザール・シュクレ2010」で優勝された中山さんにとってコンクールの持つ意味とは。
コンクールへの出場は職人になられた当初からの目標だったのですか?
「いいえ、当初からの目標だったわけではありません。私は看護学校に通っている時に進路変更して製菓業界に入ったので、パティシエールの職に就いてからは仕事を覚えるのに必死で、コンクールへの出場を目指す気持ちの余裕はありませんでした。製菓学校を卒業してすぐに働きだした同僚と比べて、職人になった年齢も遅かったので、働きながら少しでも多くのことを吸収することが一番の目標でした」
では、コンクールへの関心が湧いたきっかけは?
「共に働く先輩がコンテスト出場に向けて練習をされている際に、手伝い始めたことがきっかけです。お菓子が好きでお菓子屋さんで働く事を決めたのですが、入社当初はやる気が空回りすることもありました。看護師の道を断念した経験があったので、『今度は辛いことがあっても、絶対にやり通す』と、自分自身に言い聞かせ過ぎていたのかもしれません。そんな中、先輩のコンクール作品を目にしたんです。作品にはお店で販売しているお菓子とはまったく違った魅力があり、時間をかけて美しいものを仕上げていく過程も興味深いものだったので、徐々にコンクールに対する興味が高まっていきました」
「モンディアル・デ・ザール・シュクレ」出場前の準備は?
「経験不足を補うために、まずは国内のコンクールに出場しました。コンクールに応募したことで、やらなければいけない環境に自分を追い込むことができたので、私の性に合っていたんだと思います。自分でよくできたと思ったものもそうでないものも先輩方には見ていただきました。作品への意見やアドバイスはすべて自分のプラスになったと思っています。国内コンクールの結果は2位に終わり、とても悔しかったのですが、その経験があったからこそ世界大会の優勝があったと思います」
モンディアル・デ・ザール・シュクレという国際コンクールは男女ペアで出場することが義務づけられている珍しい大会ですが、この大会ならではの苦労はありましたか?
「私がコンクールに出場した2010年当時は、このコンクール以外には、日本代表に女性選手はほぼいませんでした。予選に出場する女性職人が少なかったこともありますが、当時はまだ、技術的にも男性職人との間に差があったと思います。私自身も一緒に出場した先輩の男性職人との技術力の差を埋めることに苦労しました。自分の技術を認識し、本番でも緊張せずに最大限のパフォーマンスができるようにがむしゃらに練習し、‟あとは、やるしかない”という状況を作れていた事で、モチベーションを保ち、最後まで何とかやり切れたという感じです。チームで出場する大会は、自分一人で作品を作り上げるのではなく、時間内にチーム力を発揮して仕事を進めていく必要があるので、自分の意見を出しつつ、チームメイトの意見も尊重しつつ‟バランスを取ること”は意識しました」
コンクールには挑戦した方がよいと思いますか?
「『誰でもどんどん挑戦すべきだ、多くの方に挑戦してほしい』とは思っていません。ただ、コンクールに限らずどんなことでも、そこにチャンスがあってもし迷っているなら挑戦するべきだとは思います。私の場合はその挑戦するべきチャンスがコンクールでした。この挑戦がきっかけで勉強できたこと、得たことは数え切れないですし、コンクールへの挑戦のおかげで私の人生は変わりました。挑戦して仮に結果がついてこなかったとしても、一歩踏み出したことには変わりないですし、全てが自身の経験になると思うので」
子育てとキャリアアップの両立
コンクールでの経験が自信へと繋がったことで、自然と普段の仕事でのミスも減り、自分を他人と比べることもなくなってきたと話す中山さん。やりがいを持ってお菓子作りをされていたなか、同じ業界のパティシエさんとご結婚され、お子さんを授かります。中山さんは人生の節目に仕事とどう向き合ってきたのでしょうか。
出産、子育てを想像した時、仕事を続けていけるかという不安はありましたか?
「パティシエール以外の仕事は考えられないと思っていたので、結婚後も仕事を続けていく事への不安はありませんでした。ただ妊娠がわかった時は、勤めていたオクシタニアルが店舗の移転準備のためにお店を閉めていた時期で、私はオクシタニアルの母体である滋賀県のクラブハリエ内の開業準備室に勤務していました。その時夫は東京で勤務しており、遠距離生活をせざるを得ない状況でした。妊娠中は身体の変化に伴い気持ちも不安定になった時期があり、一度仕事を辞めて東京で家族と共に暮らす決断をしました。この先もパティシエールを続けていくかどうかという大きな決断ではなく、いったん休もうといった感じです」
育休・産休制度を活用しようとは思われなかったのですか?
「育休・産休制度が整った職場だったので、辞めずに制度を利用することを勧められたのですが、私としては一度けじめをつけたいと感じて、辞めることを選択しました。当時のクラブハリエは、妊娠中の女性職人も体調さえよければ現場で継続して働ける、みんなで協力し合う配慮のある環境だったので、『今となっては制度を利用したらよかったかな』と思います。結果的に産後も再びオクシタニアルで働かせてもらうことになりましたし」
復帰されたのは元の職場だったんですね!
産後、キャリアを活かした働き方をする上で重要だったことは?
「仕事をしていない期間は、社会とのつながりが無くなってしまったように感じて不安になりました。再びパティシエールとして働ける場所を探す中で重要視した点は、やはりその会社や現場に理解があるかどうかです。子育てをしながら女性が働き続けるためには、家族の協力はもちろん、同僚の理解も欠かせません。ですので私にとって社長や職場のみなさんも協力してくれる環境が整ったオクシタニアルは理想的でした。理解のある方々と再び働けることに感謝し、自分の仕事をしっかりやり遂げて成果を出したいと考えて復帰しました」
女性にとってパティシエールという仕事は生涯続けられる仕事だと思いますか?
「はい、続けられると思います。今は、重いものを持つときに腰を痛めないようにするための専用の台があったり、大量の仕込みをする大きなミキサーボウルを支える専用のキャスターを使用したりと、身体の負担軽減に配慮された器具なども増えています。年齢と共に体力が落ちるのは女性に限らず男性も一緒なので、この先は働き方も自然に変わってくるはずです。役職があがることで新たな仕事が増えたり、オーナーになったりと、パティシエールとしての在り方も今は様々なので、生涯続けられると思いますよ」
家族や職場での協力もあった中、フルオーツファクトリーさんへ転職されたのはなぜ?
「子育てをしながらパートタイマーとして働いていましたが、コロナ禍に突入した時期でもあり自分の働き方について考え直していたんです。ちょうどよいタイミングで菓子製造についてのノウハウや知識を必要としている異業種の方とのご縁があり、新しいチャレンジだと思って決めました」
続けてきたことで見えるもの
パティシエールになると決めて働きだした18年前と、現在の中山さんを取り巻く環境は時代と共に変化しています。業界では労働環境を改善しようとする動きが加速し、消費者の選択肢も多様化が進んでいます。環境が一変し、一から仕事を覚えなければならない『転職』を、新たなことを勉強できるチャンスだと捉えてチャレンジする強さはどこからくるのでしょうか。
転職後、ショップマネージャーの仕事は順調でしたか?
「ヴィーガン、グルテンフリーを謳うお菓子の製造は初めてでしたが、『お菓子を作る』ということには変わりません。材料については、新しい分野で違う角度からの思考が加わったことで、知識を増やせています。一方で、これまでシェフという立場では働いたことがなかったので、業者さんとの直接交渉や従業員の働く環境整備、マニュアル作成など広い視野での仕事が多くなり最初は戸惑うこともありました。これまでの職場環境とは異なり、広い世代、分野のスタッフと一緒に働くことで色々な刺激をもらっています!」
中山さんの現在のお仕事について教えてください
「ショップマネージャーとして契約をしていて、商品開発や、商品を安定製造できるような現場の整備が中心です。」
「週に2回現場に出勤して商品を確認したり、製造スタッフとのコミュニケーションを取ったりしています。現場で働くこと以外の仕事も多いため、出社していない日は自宅で仕事をしている状況です。フルオーツファクトリー以外の仕事では、いくつかの製菓学校で外来講師として教壇に立っています」
パティシエールを長く続けられている理由は何だと思いますか?
「まず、好きだからです。そして次に、昔と比べてあまり思いつめ過ぎない自分に変われたことが大きいと思います。一度仕事を離れた時期に、広い視野でリラックスして物事を捉えることが身についたので、その時にこの仕事を続けられると思えました。長く続けるには、好きという気持ちは重要ですが、それだけではだめだと思うんです。息抜きも必要ですし、真面目さや情熱だけでは通用しない事が起こった時に、一歩引いた気持ちでかわせる余裕が大切というか」
さいごに若い世代の職人さんたちへ、アドバイスをお願いします
「専門学校に招かれて講師として話していると、仕事に就く前からいろんな心配をしている学生さんが多いことに驚きます。そんな時は決まって、まだ起きてもいない遠くの未来の心配をするより、身近な目標を見据えてコツコツと日々の仕事に向き合うことが大切だと伝えています。いまはパティシエールの仕事も多様化していて、出張シェフ、オンラインでのお菓子教室、Youtubeへの投稿など、いろんな働き方が存在しますよね。どんな形でも活躍できる技術を身に着けるためにもまず、日々の仕事に集中して欲しいと思います。そしてチャンスに気付ける目を養い、そのチャンスが訪れた時には、迷うならトライするべき。『迷って辞めるくらいなら、一歩踏み出して!』と言いたいですね。失敗してもきっと自分の経験になるし、チャンスはそんなにはやってこないですから」
取材を終えて
快活な声と明るい笑顔の持ち主の中山さんに話を伺ううちに、彼女の持つ『2つの強さ』を感じました。1つ目はコンクールなどの目標に向かって自分の決めたことをやり遂げる意思の強さ、もうひとつは、取り巻く環境の変化に対応していくために余裕を持って生きることを決める柔軟さという強さです。2つの強さを持ち合わせることで、進んで行ける道の可能性がどんどん広がっていくような未来が垣間見えた時間でした。
●取材協力
FruOats FACTORY(フルオーツファクトリー)
住所:東京都江東区扇橋1丁目12-20
アクセス:東京メトロ半蔵門線/住吉駅から徒歩9分
営業時間:11:00-17:00
定休日:水曜日
公式ホームページ:こちらから
公式インスタグラム:こちらから